韓国海軍の駆逐艦が海上自衛隊の哨戒機に火器管制レーダーを照射した問題の続き。北東アジアの激変を象徴しているということだ。

 

 昨日、「ともに北朝鮮に対峙している「準」同盟国の部隊に対して、こんなことをやってはいけない」と書いた。しかし、そういうことを現場の部隊が平気でやるようになっているということ、それを国防省まで容認しているということは、もはや日本は韓国の「「凖」同盟国」ではなくなっている(なくなりかけつつある)という現実があるからだろう。つまり、韓国にとって北朝鮮はもはや脅威ではなく、日本との足並みが乱れてもいいと思っているということだ。

 

 問われているのは、日本はそれをどう捉えているかということだ。日本は北朝鮮を脅威と捉え、韓国と足並みを揃えたいのかということである。

 

 もし日本がそう思っているならば、今回のような問題が起きた時、内々に解決しようとしたはずだ。だって、「敵」の前でそんな醜態を演じるなんて、あり得ないことだから。実際、当初はそうやろうと考えていた節もある。しかし、韓国側の対応が不誠実なため、途中で我慢ならず切れてしまったというのが真相のように見える。

 

 だけど、「敵」の前で我慢できないということは、やはり日本も北朝鮮のことを本物の「敵」、容易ならざる「敵」とまではみなしていない現実の反映だろう。ホントに恐れていれば、こんなやり方はできるはずもないから。「ともに北朝鮮に対峙している」という共通の思いがあれば、韓国をこれほど追い詰めるようなことはしないはずである。

 

 けれども、その根本のところが揺らいでいるというのが、今回の事件があかるみに出したことではないのか。いまや、日本と韓国は、同盟どころか連携する関係にもないほど、北東アジアの激変が進んでいるということではないのか。

 

 それにしても、日本と韓国をこれほど離反させるほど、金正恩は戦略家だということなのかもしれない。恐るべき政治家だ。

 

 来年初頭、そんな北朝鮮を相手にどう戦略を打ち立てるべきかをテーマに、本を出します。『北朝鮮問題のジレンマを「戦略的虚構」で乗り越える』。内田樹さんが帯に推薦文を書いてくださいました。感謝。

 

 

 2月11日(月・祝)には、八重洲ブックセンターで、「北朝鮮の非核化に日本は何をできるのか」と題して、同じく新刊を出す柳澤協二さんと対談します。申込みが必要です。

 

 では、来年もよろしくお願いします。百田さんの『日本国紀』の論評、新年には出せるのかなあ?