本格的に書き始めるのは週明けからですが、土日も軽い話題で。「超左翼」の意味あいです。

 

 これは直接的には、私が担当して10年前の2008年刊行した「ロスジェネ」という雑誌に由来しています。「超左翼マガジン」と銘打って刊行されたのです。

 

 刺激的なコンセプトの雑誌でした。創刊号からして「右と左は手を結べるのか」というテーマで特集があり、編集長の浅尾大輔さんが赤木智弘さんと対談しています。

 

 赤木さんと言えば、当時、華々しくデビューした場会。朝日の「論座」で、「「丸山眞男」をひっぱたきたい--31歳、フリーター。希望は、戦争。」という論考を出して、注目されていたんですね。若者が丸山眞男批判でデビューするというのも、「希望は、戦争。」だというのも、当時の1つの風潮をあらわしていたと思います。

 

 それに対して、雑誌の冒頭の対談で、浅尾さんは、「希望は、連帯。」というコンセプトを打ち出します。「右」側と思われていた赤木さんに対して、左翼の側から、左右の連帯を打ち出したわけです。

 

 これにマンガ評論家の紙屋高雪さんも寄稿しているのですが、それはなんと、「ネット右翼に会いに行った」というものでした。当時の(今でもですが)普通の左翼は、右翼、とりわけネット右翼はただ嫌悪するだけの対象であって、ましてや話を聞く対象ではありませんでした。嫌韓流とかが流行していた時代ですからね。しかし、「超左翼」は、そこを乗り越えて、右翼の人が何を考えていて、どこが一致できるのかを探し求めたわけです。

 

 当時、ネットの世界では、左翼というのは率直に言ってダサい存在だと思われていました。左翼が自分のことを左翼だというのもはばかられていました。そこに30代の若者たちが登場して、新しいコンセプトで襲いかかったのです。新鮮でした。

 

 「ロスジェネ」は残念ながら、2年で幕を閉じます。私はそうした若者の意気込みを受け継ぎたいと思って、当時、「編集者が見た世界と日本」という超普通なタイトルでやっていたブログを、「超左翼おじさんの挑戦」と変更し、「挑戦」を継続してきたのでした。

 

 いちおうは会社を代表する編集長となり、会社のホームページのトップでブログを書くことになって、さすがに「超左翼」は使えなくなりました。それをこのブログで再び返り咲くことができたわけです。

 

 写真は我が家の近くにある摂津峡です。先週も野暮用で訪れていたのですが、わずか一週間で完全に紅葉していました。いい場所で仕事し、暮らしているよな。