第65回アカデミー賞で9部門にノミネートされ、4部門(作品賞・監督賞・助演男優賞・編集賞)の受賞作品。クリント・イーストウッドにとっては、アカデミー賞で初めて作品賞・監督賞を受賞した作品ということで、記念すべき作品だった。

 

女神のような女性に出会って結婚し過去を全部捨て牧夫となって人生を送っていた大悪党の男が、妻を亡くし、生活苦の中で子供を育てるために、かっての腕を買われ非道なカウボーに掛けられた懸賞金狙いに加わる。亡き妻の想い出の中で、この償金狙いは許されるか彼なりの正義を見つけていく。

 

西部劇であっていわゆる西部劇でない。初めて観たとき何を言いたいのかよく分からなかった

この作品が恩師ドン・シーゲルとセルジオ・レオーネに捧げた「最後の西部劇」だと聞き、納得! 両監督作品のキャラクターを演じることで「体得した正義を継承する」と宣言しているようで、クリント・イーストウッドが“監督としての気概”を表明しているのではないかと思った。

 

この年、クリント・イーストウッドの本作とアル・パチーノ主演作「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」が、いずれも「老いた人がどう人生を生きるか」を問う作品でアケデミー賞を争ったといい、正義を問う作品だった

 

監督:クリント・イーストウッド、脚本:デヴィッド・ウェッブ・ピープルズ音楽:レニー・ニーハウス、撮影:ジャック・N・グリーン、編集:ジョエル・コックス。

 

出演者:クリント・イーストウッド、ジーン・ハックマン、モーガン・フリーマン、リチャード・ハリス、ジェームス・ウールヴェット、他。

 

 

あらすじ&感想

冒頭、カンザスの大平原に沈む夕陽の中で眠る娘・クローディアに「なぜあんな人殺しで酒飲みの残忍な札付き男・マニー(クリント・イーストウッド)と結婚したのか分からない」という母親の嘆きの言葉から物語が始まる。マニーの妻は一度も姿を現さないが、神々しい光景からマニーにとって妻は神のような存在ではなかったかと思われる。マニーはかって列車強盗や保安官殺しで名を馳せた悪党だったが、結婚して真っ当な男になったらしい。ところが妻が亡くなって3年、わずかな羊を飼う牧場に疫病が襲ってきた。2人の子供を養うことに四苦八苦していた。

 

ワイオミング州ビッグ・ウィスキーという町。

ビッグウイスキーという酒場兼売春宿でカウボーイのマイク(デヴィッド・マッチ)とボーイ(ロブ・キャンベル)のふたりが娼婦・デライラ(アンナ・トムソン)の顔に大傷を負わせ、酒場の店主スキニー(アンソニー・ジェームズ)に取り押さえられ、保安官のビル(ジーン・ハックマン)に突き出された。ビルは店主スキニーに馬7頭を与えることで事件を決着した。が、当の娼婦デライラの姉御・アリス(フランシス・フィッシャー)が納得せず「カウボーイふたりには死を!」と1000ドルの懸賞金で殺し屋を雇うことにした。

 

これを聞きつけたキッド(ジェームズ・ウールヴェット)が、マニーの居場所を聞きつけて、「償金は1000ドルだ、山分けでやろう」と誘った。マニーはそれを断ったが、生活が立ち行かないとキッドの誘いに乗ることにしたが、拳銃も乗馬の腕も衰えてあてにならない。そこでかっての仲間ネッド(モーガン・フリーマン)を誘って、ふたりでキッドの後を追った。旅に出る時、ローガンの妻(原住民)の厳しい目は痛かった!

 

マニーは妻との約束を守りこういう仕事はしたくなかった。だから殺しはキッドかネッドにやってもらうという気持ちがあった。キッドを追う旅の中で、度も妻との約束を思い出し苦しんだ。

 

保安官のビルは、いくつものならず者の射殺事件に関わったが、今ではこの町に家を建て余生を過ごそうとしている男。だから無法者が町にやってくるのを嫌がった。

 

「国王は殺せないがここなら大統領でも殺せるという英国人で伝説の殺屋イングリッシュ・ボブが自分の伝記を書かせると物書屋のブーシャンプ(ソウル・ルビネック)を連れて乗り込んできた。

 

保安官ビルは「町では銃保持禁止(保安官事務所に保管)」とボブを逮捕して牢に入れた

銃を与えて自分を襲わせ正当防衛で射殺しようと画策するがボブが乗ってこない。ビルは正当防衛ということに強いこだわりを持っていた。遂にボブひとりを縄をかけて馬車に載せ、”町への無法者の侵入を許さない”と見せしめとして追放した。娼婦たちはこれに激しい怒りを持った。

 

マニーとネッドがキッドを追ってビッグ・ウィスキーに急いでいて、途中で銃撃を受けた

射撃弾が散らばって、狙っているようでない。射手はキッドだった。ネッドが「お前、目が悪い!50m先が見えてない!」と指摘するが、キッドは「俺は5人殺している!」と言い張る。ネッドとマニーには彼の腕前は分かったが、賞金は三等分ということに決めて出発。

 

雨の降る夜、マニーら三人が町に入り、酒場に入った

ネッドとキッドは償金の交渉を兼ねて娼婦たちのいる2階に上がってよろしくやっていた。マニーは亡き妻に義理立てするように1階で、酒ものまず、2人が戻って来るのを待っていた。

そこに「銃を持ってないか調べる」とビルが助手の保安官を連れてやってきた。マニーが拳銃を持っていたことで、「拳銃保持が認められない!」と激しく殴り、雨の降る店外に放り出した。

 

マニーは騒ぎで逃げ出したネッドとキッドに救い出された

マニーは娼婦たちが準備してくれた隠れ屋で3日間安静にしていた。食事を運んでくれる娼婦・デライラに「ふたりは宿で遊んでいるからここで私と遊んでいい」と声を掛けられたがマニーは断った。「顔が醜いから?」と問うので「俺はあんたと同じ傷持ちだ!しかし、あんたの顔は美しい。俺の心の傷は醜い」と、自分のやろうとしていることに痛さを感じた。

 

マニーの傷が癒えて、三人は屯する小屋付近でカウボーイに出会い、ネッドがボーイを撃ったが撃ち漏らした。ネッドは止めのライフル銃の引き金を引けなかった。ネッドはもはや人を殺すことが出来なくなっていた。マニーへの友情だけで参加したのでだった。マニーがそのライフル銃でボーイを撃った。ボーイは苦しみながら絶命した。

 

この日はボーイ射殺だけで終わりにした。ネッドは「償金はいらない!」と妻の元に帰って行った。

 

カウボーイ仲間の届け出で、保安官ビルは協力者を集め、3人を追って山狩りしネッドを捕えた。ネッドは拷問で2人の素性を聞かれたが、口を開かなかった。

 

マニーとキッドは再度カウボーイ小屋を監視し、出てくるマイクを待っていた

糞に出て来た男をマニーの援護下にキッドが射撃に走った。キッドは震えながら便所の中にいるマイクに何発も撃ち込んだ

 

マニーは懸賞金を届けにきたデライラから、「”必ずマニーが殺しに来る!”と毒づいてネッドが殺され、磔で晒し者になっている」と聞かされた。キッドは「5人を殺したというのは嘘でひとりも殺していない。償金はいらない」と去ろうとする。マニーは金を「ネッドと自分の子供に渡してくれ」と頼み、ここで別れることにした。マニーはキッドに悪いことをさせたという渋い顔を見せた。

 

ネッドが晒し者にされたことが、マニーの殺し屋魂に火を点けた

マニーはひとりで酒場にライフルを持って忍び込んだ。そのとき酒場ではビルが「ふたりを見つけて縛り首する」と息巻いているところだった。

マニーはいきなりスキニ―に「ネッドを磔にする前に銃を持たせるべきであった」と射殺した。そしてビルと銃激戦を繰り返し、彼を射殺した。

 

二度と女たちを傷つけるな!もしやったら、お前らも家族も、この町を焼きに来る!」と言い残し、町を去った。

 

このあとマニーの住むカンザスの家にはマニーと子供の姿はなく、サンフランシスコで商売を始めたと噂された。母親は「何で娘がこの男が好きになったのか分からない」という。

 

まとめ:

西部劇とはいえ、へたれの3人が娼婦の顔を傷つけたカウボーイの殺人に出掛けるという、ラストで恰好いいドスの利いたセリフと射撃を見せてくれますが、なんとも恰好わるく西部劇らしくない。(笑)

 

このドラマに出てくる人たち、保安官、カウボーイ、娼婦、へたれの3者、みんな相手の立場に立てば「許されない人」です。これがタイトルの意味だろう。「みんな許されない人」なんです。じゃだれが正義なのか?自分で決めればいいということ。この“覚悟”を描いた作品。

 

二度と罪を犯さないと誓ったマニーは、当初ネッドとキッドがいれば亡き妻への言い訳は立つと思っていたが、ビルの激しい暴力を受け、ネッドが晒し首になったことで下した決断が「許されざる者になる」こと「自分の正義を通す」ことだった。

 

こんな決断はそう簡単にはできない。製作構想があったが、自分がマニーの年になるまで製作を待つことにしたというクリント・イーストウッドの言葉に、人生経験を得ての「覚悟のある作品」だったんだと思います。

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