花郎を観ているRWです。イケメンばかりピンクハート


花郎の中での名シーンは、2人の男性から好かれるアロちゃんに対し、その2人の男性のうち1人は許嫁、もう1人の方が好きな王女(←どちらからも好かれていない)が


お前は欲張りだ。片手に一人ずつ持って天秤にかけてるムキー


と言うのに対し、アロちゃんが


王女のほうが欲張りじゃん。差し出されてもいないものを欲しがってる。私はそんなことはしない。


です。RGの在り方なの。アロちゃんは2人の男性が、その男性の意思で「差し出し」をしていて、自分の好きな男性の愛だけを「受け取る」のです。


王女がもしRGならば、たとえ自分の許嫁でも、想い人でも、


どちらからも愛されていない


を認めるしかないのです。悲しいし悔しいし、自分に価値がないような気になります。私、王女なのに悲しい!!って。そう思っちゃうのはね、


当然


なのよ。しっかり感じて、それでも「どこかに自分を好きになる男性はいる」「この世に男性はこの2人なわけではない」と、そっと涙を拭いて先に進むのがRGなの。少なくとも、自分を愛さない男性ではなく、その男性たちが好きな女性に恨みを抱く、そんなことは


女性性のプライドにかけて、あってはならない


のです。RGのプライドとは、そういうものなのよ。正しく、美しくあろうとする姿のことなの。巷で言う、「私の価値に気づかないなんてバカ男」みたいな負け惜しみが女性のプライドではないのです。


さて。


差し出されないと憤る。


それは女性性が愛され性であり、受け取りに「専念」できてこそ女性性として満たされるからです。


配偶者に不安や不満を抱く女性は、つまり、


受け取りに専念できていない


から、不安や不満を抱くのです。言い換えると


男性が差し出しに専念していない(愛しがない)


と感じるから、不満や不安を抱き、時に憤るのです。簡単な話です。

そしてその不満や不安、憤りの元である「差し出しに専念しない配偶者の在り方」からくる「受け取りに専念できていない自分への無価値感」というのは、


真っ当なのです。上記同様、「認めると落ち込んじゃう」のが当然だということなのです。


RWが重要だと思うのは、そこに


おかしな解釈を持ち込んで、更に自分の女性性を傷つけないこと


なのです。


コップ水論でも書いていますが、いくら「まだコップに半分『も』水がある」と言ったところで、それは「ない半分」を強く意識することになるだけで、一時的にテンションを上げるくらいはできても、また「ない半分」を思い知る時がくる、ということになるからです。


とかく「自分次第」と言いたがるのがアドバイザーさまたちのお仕事なのでしょうが、「自分次第」というのは、


男性の愛しが全くないところに必死に『これは愛しだ』と「自分で解釈」する


ではないのです!!!!!!



自分次第なのは、もっとずっとずーーーーっと前にまだ配偶者と出会う前から『一貫して』、


愛しがないところに自分を置かない


ということを『自分で決めて行動する』であり、そこには、解釈もいらなければ、アドバイスも、カウンセリングも必要ない世界なのです。



ピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハート


具体的に、家事育児の分担で「いくら話し合っても」「結局自分ばかりがやる」という不満を抱える女性が多いですが、原因は何か?ということです。


話し合いが足りないのでも、女性の方がマルチタスクが得意だからでも、時間があるからでも、家事育児に向いてるからでも、こどもはやっぱりママが好きだからでもないんです。(注 これが「事実ではない」ということではありませんよ、「原因ではない」と申しているのです)


男性からの愛しがないから、ないように感じる「証拠」として不満を抱えていく、ということなのです。