お蔭様で二周年を迎えさせていただきました。

随分ご無沙汰してしまいました。
久しぶりの更新です。

2009年1月25日に大阪天満宮の門前にて<ぼてふり>で商いを始めて以来
何とか二周年を迎えさせていただきました。
<ぼてふりの饅頭売り>から<イタリア料理人?>へ・・・
意外?な転身でしたが、
お蔭様でブログを更新する時間もないほど、多忙な日々を過ごしております。
トニーのリズムは天神囃子

“新主流派”と呼ばるジャズを好んで聴いていたのは60年代後半だった。
マイルス・デイヴィスが、ウェイン・ショーター(ts)、ハービー・ハンコック(p)、
ロン・カーター(b)、トニー・ウィリアムス(ds)からなるクィンテットを結成したのは
60年代半ばで、1965年に『E.S.P』、66年に『マイルス・スマイルズ』、
67年に『ソーサラー』と『ネフェルティティ』を発表した。
その鮮烈な演奏スタイルは“新主流派”と称され
クィンテットは“黄金のクィンテット”と呼ばれた。


$大阪天満宮表参道<祭屋梅の助>のぼてふり日記-ソーサラー

$大阪天満宮表参道<祭屋梅の助>のぼてふり日記-マイルス・スマイルズ


新主流派ジャズを特徴づけるのがトニーウィリアムスのドラミング。
それは魂を鼓舞するリズムだ。
当時は考えもしなかったけれど、それはまるで天神囃子(地車囃子)なのだ。
天神囃子は、大太鼓、小太鼓、鉦を打ち鳴らし
即興で演奏される“カヤク”という激しいリズム。

7月24日は天神祭の宵宮(よみや)で、午前4時に天満宮の大門が開き
太鼓中による一番太鼓と、地車講による一番囃子が打ち鳴らされて、
祭の始まりが告げられる。
24日の宵宮と25日の夏大祭の両日、大阪天満宮の境内では
終日、天神囃子が祭気分を盛り上げる。
天神囃子に合わせて踊られる“龍踊り”は、指を曲げ
手と体をくねらせて、龍が天に昇るさまを表わす。

1992年の天神祭の前夜祭に、ジャズ・ピアニストの山下洋輔さんと
天神囃子と龍踊りのジョイントが実現した。
その時、会場に居合わせた大阪老舗のジャズ喫茶『いんたーぷれい8』の
“ハチママ”(現在は“ハチのおかん”と呼ばれる)こと中村陽子さんは、
当時を振り返って・・・
『・・・大阪締めのあと、地車囃子と龍踊りが始まって、そこに洋輔さんの
ピアノが乱入するという構成でした。打ち合わせなしのぶっつけ本番でした。
片や伝統的な神事、片や個性のきついジャズミュージシャン、
事前に打ち合わせをするとかえってうまいこといけへんから、ぶっつけでやる
ことになりました。しばらく地車囃子を聴き、龍踊りを見て何か湧き上がって
くるような気配があって、一気に天神祭の熱気に入り込んだ洋輔さんの演奏
にはほんまに興奮しました・・・』
後日、洋輔さんに直接お話をお聞きする機会があったが
あの時、天神囃子を聴いて、ジャズを感じた、とおっしゃった。
満を持して洋輔さんの指が肘が、鍵盤を激しく打った時
ジャズと天神囃子は、見事に溶け合った。

天神囃子はジャズだ!
トニーのリズムは天神囃子だ!

もし、マイルスが天神囃子を聴いたなら、どんな激情をほとばしらせたか。
天神橋筋1丁目商店街“辛いモンストリート”が
テレビで紹介されます。


7月20日(火)午前7時27分頃から
読売テレビ[10ch]“ズームイン!SUPER”の
『夏にピッタリ!ピリ辛グルメ』(仮題)で
天神橋筋1丁目商店街の“辛いモンストリート”が取り上げられます。

祭屋梅の助の“激辛パスタ”
青唐辛子とチョリソーのトマトソース・生パスタも紹介されます。

豪雨の梅雨も明けてジリジリ照り付ける真夏の太陽!
激辛パスタで、うだる猛暑も何のその!
天神祭は七夕にはじまる

今を遡ること1109年前の延喜元年(901)、菅原道真公(菅公)は
太宰府へ左遷される時、“西の果ての太宰府”へ向かう旅路の無事を
祈念して、大将軍社に参拝されました。
菅公は二年後の延喜3年(903)に無念のうちに亡くなられます。

それから約半世紀後の天暦3年(949)のある夜、
大将軍社の前の明星池のほとりに、一夜のうちに七本の松が生え、
夜ごとその梢が金色に光り輝いたと伝えられています。
時の村上天皇は、これは菅公にゆかりの奇瑞(きずい※不思議な現象)で
太宰府に流されるとき大将軍社に参拝したことに関係があると考え、
大将軍社のある地に新しく社殿を造営して、
菅公を「天満大自在天神」として祀られました。
それが、大阪天満宮であるわけです。

大将軍社は、大阪天満宮の地主神として今も境内に鎮座されています。
天満宮が創祀される前から大将軍社の境内では、穢(けが)れをはら行事として、
7月7日に「星祭(七夕祭)」が行われていました。
天暦3年に天満宮がご鎮座になると、大将軍社の「七夕祭」は、
天満宮の「鉾流神事(ほこながししんじ)」に受け継がれることになります。

現在、天神祭は7月25日に夏大祭が斎行されますが、
江戸時代には陰暦の6月25日におこなわれておりました。
さらにそのルーツをたどると、
天神祭は、7月7日の七夕祭だったわけです。

七夕といえば、天の川の両岸に別れている織姫と彦星が
年に一度出会うというロマンティックな恋物語を思い浮かべます。
しかし、もともとは世の中の罪や穢れを、形代(かたしろ)、つまり
紙でつくられた人形に託して川に流す“穢れ払いの行事”だったのです。

江戸時代以前、人々がいちばん恐れたのは、疫病の流行でした。
特に疱瘡(ほうそう※天然痘)の大流行は恐れられました。
ですから、“疫病平癒(疫病が治ること)”を願うことが、
七夕の最も重要な要素でした。

古代の人々が最も恐れた疱瘡の流行は、およそ12年ごとに起こっています。
古代人は、宵の空に現れる金星(宵の明星)が、西をホームポジションに
北極星を中心にして12年を周期に天空を回ることにも気がつきました。
古代人は金星の運行が、疱瘡の大流行と関係があるのではないか?
と考えました。

「疫病を流し去る七夕の行事」が「星」と結びついたのは、言い換えると
疱瘡退散を願った“疫病信仰”と、夜空の星に神秘的な力を託す
陰陽道の“星辰信仰”との合体を意味します。
その信仰の対象となったのが「大将軍神」だったのです。
大将軍神は、中国の陰陽五行説にもとづき、西方を司る“太白星(金星)の精”
とされる“方伯神(※方位を司る神)”として崇められていました。

7月21日限定企画──とっておきの天満!
見せます!老舗料亭体験と天神祭の舞台裏
~えっ、天神さんって学問の神さんだけやないのん?

いよいよ天神祭の季節が近づいてまいりました。
天神祭といえば、花火と船渡御だけだ、と思っていませんか?
“ホンマの天神祭”を知っていただきたい!そんな思いから
「OSAKA旅めがね」では、とっておきの体験ツアーを企画しました。
天神祭を支える地元の人々と祭のおもしろさを、
天満に生まれ育ったホンマの天満人が語り、ご案内いたします。


$大阪天満宮表参道<祭屋梅の助>のぼてふり日記-相生楼若女将

                    大阪最古の料亭・相生楼の若女将

普段聞けない天満宮神職のここだけの話から、
創業180年、大坂三郷の時代から続く大坂最古の料亭も体験頂きます。
若女将のおもてなしで料亭の歴史や天神祭の思い出を聞きながら
この企画のためだけに用意していただいた特別オリジナルの御弁当を
お召し上がりいただきます。旬の食材による大阪の夏の味覚をお楽しみ下さい。


$大阪天満宮表参道<祭屋梅の助>のぼてふり日記-相生楼弁当

            この日のためにご用意いただいた相生楼特別オリジナル御弁当

とっておきの天満の町と天神祭の舞台裏──
土蔵のある町・菅原町では地元の重鎮・後藤孝一さんに
天満の今昔を伺います。後藤さんは現代も船渡御、御鳳輦講案内人を
しておられます。逸話・裏話は数知れず!いろんなお話が聞けるはず。
また、明治創業120年、100年胡麻屋の和田萬では専務の和田大象さんに
わたしたちの知らないゴマの話を聞かせていただきます。
ちなみに、和田さんは幼い頃に天神祭の神童をされたことがおありです。

$大阪天満宮表参道<祭屋梅の助>のぼてふり日記-菅原町の蔵

            土蔵のある町・菅原町

大阪天満宮の境内では、鳳神輿と玉神輿の蔵出しを見学させていただきます。
2008年に大改修された鳳神輿について、世話役さんから
あっ!と驚くお話が聞けることでしょう。

$大阪天満宮表参道<祭屋梅の助>のぼてふり日記-鳳神輿

            鳳神輿

ツアーが終わる頃には、あなたの天神祭の見方が変わるはず・・・
そして、天神さんの謎も納得していただけるはず・・・
天満天神ようおこし、地元が心よりお待ち致しております。


実施日/2010年7月21日(水)
時間/12時【北浜・大阪証券取引所集合】
    →鉾流橋→土蔵のある町・菅原町(後藤商店・和田萬)→
    大阪天満宮→相生楼(お食事)→大阪天満宮
    15時30分頃解散【南森町周辺】
案内人/地元天満のクルー・藤堂千代子
料金/会員:6300円(ガイド料・お弁当代含む)
    一般:6800円(ガイド料・お弁当代含む)
※ 会員登録は旅めがねファンクラブ
(http://www.tabimegane.com/member.html)
お申し込み・お問い合わせ/
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電話でのお申し込み・お問い合わせ:TEL.06-6624-8500