世界への怯えはまだ続いている。

恐ろしいニュースは嫌でも目に入り、私の心は引き付けられる。

 

昨日は久しぶりにノートに自分の怯えを書いて

心の奥をほじくりかえしてみた。

 

子供の頃から祖母や周りの人間のサンドバッグになって来た。

その生き方、自分の在り方しか知らなかったから

学校でも社会でも、他人の悪意の受け皿を引き受けて

心が傷付き、金銭面でも損してきた。

 

どれだけカウンセリングやセッションを受けても

やはり子供の頃にガッチリと植えつけられたものは

そう簡単には覆らなかったのよね。

 

だから、そんな凶悪犯罪でもなんちゃらハラスメントでも

私は当然のように受けるであろうと思っている。

つまり、

 

 

他人の悪意を受ける

 

 

ことを当たり前としているワケなのだ。

 

いまでもしっかり意識しないと他人に尽くしてしまう。

他人の悪意を許してしまう。だからまだ世界が怖い。

どれだけカウンセリングしても、沁みついた価値観は

ド根性で意識して修正しなくちゃ治りゃしないのだ。

 

それと何より怖いのは、その受け皿役をするのが役目なので

それがないと生きてる意味がない、やることがない、

自分の存在価値がないと無意識で行動してしまうことだ。

他人の悪意で悩んでも、それがないと落ち着かない。

マジ、ド根性を出して世界は私に優しいと思わなきゃ

どんどん私は傷付き、命さえ失いかねない。

 

 

 

結局そんなことにフォーカスしてしまうのは、今現在が

とても平和で穏やかで、他にやることがないからだろうなあ。

今週末はいよいよビッグサイトのイベントだ。

 

荷物は送った。売り子をしてくれる友達との待ち合わせも決まった。

打ち上げをやる店も決まり、あとは体調を整え出発するだけ。

キャリーバッグを引っ張り出し、少しづつ荷物を揃える。

 

半年かけて準備したのだ、本も雑貨も。

楽しむだけで良いのに、悪い事ばかり考える。

 

私は自分の役割を求めてるんだろうね。

それがたとえ他人の悪意の受け皿でも、被害者でも

それで悩むときに、自分の生を実感するのだろう。

 

仕事も介護も治療もする必要がない。

余計な人間関係がないので、悪意を受けることもない。

年金を貰うまでの生活費はそこそこ貯めてある。

心配することと言ったら、血糖値と緑内障と腹の脂肪。

 

何もしない、何の役割もない、ただ漫画を読んでYouTube観て

アマゾンプライムで鬼滅の刃観て、おやつ食べてご飯作って

ビール飲んでご飯食べて、風呂に入ってYouTube観て寝る。

全力で暇つぶしをする日々。まあ、幸せ💖

 

ただのごく潰し、社会に何の貢献もしてない初老と思うが

そもそも20代前半から60歳まで、職をいくつか変わったけど

フルタイムで働き税金を納め続けた功労者ではないか!!!

 

 

 

私が自覚し、腑に落とさねばならないのは

 

 

私に役割はない

ただ生きるのみ

受け皿は粉々にブチ割る

 

 

ということだ。ただ生きるのみ。

 

しかしまあ、三つ子の魂百までとはよく言ったもの。

私が世界に怯えないためには、受け皿役を降りるしかない。

今これほど何もやることがなく平和であるのも、

私には役目などなく、ただ生きてるだけで充分で、

怖いニュースに目が釘付けなのは、被害者の役目は私じゃないと

自覚することなのかしら?

 

知らんけど・・・