【161】



2011(H23)年の話です




なんで?


なんでだ?



あまりにも衝撃が大き過ぎて

自分の中で
一度では 
とても処理しきれるものではなく

素直に悲しみにも浸れない


悲しみに浸る…というよりも
なんで
こうなってしまったのか

それが
全く
理解できないでいた


父が倒れていたと聞いた場所は
父の部屋から出て
廊下を数十メートルほど歩いた先

何故 父は そこにいたのか…


入所当日

「夜間は1時間おきに巡視をします

部屋には外から鍵を掛けるので
出て歩く心配はありません」


施設からは
そう説明されていて
現に
私が泊まった3日間は 説明された通りだった


なのに
あの日

何故 父は部屋を出られたのか
何故 そこに倒れていたのか…


1時間おきに巡視をしていたら
あんなに時間が経つまで
誰も気がつかないなんてことは
なかったんじゃないのか…

鍵がかかっていたはずの部屋を
父が出たことに気づいた人は おらず

倒れた(?)その瞬間の父を
見ていた人も いない

音は しなかったんだろうか?…



後で
透明なビニール袋に入れて渡された
血だまりの中に倒れていたという
父の衣類は 
浸したように真っ赤に染まっていた


どういうわけか 破かれていた
部屋のカーテンと
申し送りノートの ページ...


原因も
経緯も
全く不明



なんで?...


全く見えてこない
なんで そうなったのか…という部分

大き過ぎる その空白の部分を
埋めたいのだけれど
明確な答えが ない


なんで?...


そんな疑問が生まれるたびに
それは
小さな種のようになって落ち

たくさんの  " なんで? " が
不信の芽を育てていく感じ





(Y)施設を選び
入所を決め
父と母が
入所できることになった時

自分は
良かったと思った

本当に
心から そう思った


けれど
良い結果など 
全く もたらすことなく
こんなことになってしまって...

一番 大切な
その経緯が
説明されないことからくる
不信感や警戒心…

一つの不透明な事実が
それまで透明だったものまでをも曇らせた




東日本大震災の日
救急搬送された病院で
 " 脳塞栓症 " と診断され
右半身に麻痺が残った父は

また
歩けるようになるために
頑張ってリハビリをしていた


けれど
歩けるようになるために
頑張ったリハビリが

自分で
歩けるようになったために
命を落とす結果となった…

のだとしたら… 

歩けたから?

歩けなかったら
部屋を出ていくことも
倒れることもなかったのかもしれない…

そんなことまで思った


けれど一方で
それは

それこそ
個人の自由を奪うことに なりかねない

父が

「また 歩けるようになりたい」

そう自ら決めた選択を
表面的な " 良し悪し " で縛ることにもなる…
ということの理解も していた




どうしていたら
父は
生きていられたんだろう…



あの時は
黒々とした渦の中にいて
そんなことばかりを考えていた






良いだの 悪いだの 言っているけれど
それだって
ちょっとした加減で
全く 裏返ることだってある

その視点も
その価値観も
時間の経過や 状況の変化で
容易に変わりうる主観的なもの
危うくすらある


一見(いっけん)すると
不運だと思えることが
後の人生を変える転機になることもあれば
その逆も
また然(しか)






生まれ落ちた
その瞬間から

人は皆 平等に
死に向かって生きている
その濃さや長さは 人それぞれだけど

どんなことも
生まれてから死ぬまでに起こる
できごとの一つに過ぎない...


義祖母(夫の祖母)、義母、
実父、実母、
そして夫…

40年近い介護を経て

最近
そんな風に
思うようになりました



納得したいがために
なんにでも理由をつけ
安心しようとしたがるけれど

そうだったんだ

と 受け入れる


そう思えるようにも なりました








前回