【141】


2011(H23)年の話です




脳塞栓症で入院後
※左脳の損傷により右半身に麻痺が残り
※左脳には右半身を動かす指令を出す役割と
言語機能を司(つかさど)る役割がある

※構音障害が起こっていた
※こうおんしょうがい
口や舌、声帯などの発声に関わる器官に
障害が生じ 発音がうまくできなくなる状態

見当識障害もある
※けんとうしきしょうがい
時間や方向の感覚が失われたり、
物事の相違を 区別できなくなったり認識力を失うこと

尿失禁も みられ 紙おむつを使用
ふらつきが見られるため
日中は車椅子で 安全ベルトをしている...


それが
震災後(入院後)
初めて見た 父の姿だった
認知症、要介護2




私の顔を見た父は
迎えに来てくれたと思ったのかもしれない


「うち 帰りてぇな」


呂律(ろれつ)の回らない口で
何度も 私に そう言った


ばぁさまは? ←母のこと
ばぁさまんとこ に 帰りてぇな」
母のいる自分の家に帰りたい という意味



長く暮らした自分の家に
帰れるものなら
帰してあげたかった…

退院したら すぐに帰れるよ と
言ってあげたかった…


けれど
こんな体で
こんな状態で
父が 
また母とあの家で
二人で暮らすのは とても無理だと思った
母は 認知症で 要介護5 寝たきり



車椅子を使えるスペースなんて 全くない
段差ばかりの
通路の狭い あの家で
ふらつきのある父を
どうやって介護したらいいんだろ

夜は特に
自宅の寝室からトイレまで
暗い中
安全に移動なんて できる訳ないよ

第一
それまでのように
夜間
父と母
二人だけには できないでしょ

見当識障害があるとも 言われているけれど
その中で
父は
生活のリズムをつくっていけるんだろうか...

福祉用具を借りたところで
あの家で
母も含めた生活が成り立つとは とても思えない...



父の退院後の方向性
どの方向へ
どう向いて 
どう動いたら良いのか

自宅に帰してあげたい理想と
無理だという現実の間で…

気持ちは
ぐちゃぐちゃに揺れた


「家に帰りたい」と言う
父の気持ちを考えると
少しでも
可能性を考えて

" もしかしたら できるんじゃないか... "

そんな風に思う反面
現実的な介護のことを考えると 
とても無理だということの理解も できた





施設
探さないといけないな


退院までに
もう
そんなに猶予はなかった


" 気持ちの折り合いも つけたいという理想に
少しでも近づけるような
現実的な一歩...

父と母
二人一緒に はいれる施設 "


ケアマネさんに ご相談して
そんな思いも伝えて

施設さがしを始めた






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