どんな分野の人間活動でも同じことを言えるが動作を極限にまで修練して高めると、その手足の

動き、動作がまるで美しい芸術作品のように見えて来る。特にスポーツの世界、武術武道の世界に見ることができるものである。その理由として考えられることは、動作の目的を達成する為に

あらゆる無駄を省き、ひとつ、ひとつの動作を確認した後には簡素過ぎるほどに単純な動作に完成させるからである、と私は観察している。例えば

速さを追及する車のデザインを見てもらいたい。空気の抵抗を極限にまで少なくして車のスピードを上げる。柔道などのワザを訓練する時にも無駄を省き、相手を如何に持ち上げて重心を上に上げた途端に投げの動作に入る。如何に効率よくその

関連した動作を自分に作り上げていくか?ということが大事になって来る。治療も同じことが

言える。究極の治療は施術そのものが必要で無くなってしまう。鍼灸治療も鍼を何十本も打つ必要が無い。たった一本で良い。侵襲と言って、手術後に患者への負担がとてつもなく増大する時が

あるので、相当体力を失った高齢者の患者には

あまり手術などを勧められない。目的を絞って簡素化するとその動作はよそ目にはあまりに簡単で綺麗に美しく見える。猛禽類の滑空の動作も

そうだろうし、チーターなどが走る姿も美しい。私の勁空勁も同様に無駄を極限にまで少なくして省いて動作のチェックに余念が無い。かくて尤氏氣功は、少なくとも私の勁空勁は三十年前に比べて美しくなった。なるべく少ない氣のエネルギーで、大きな効果を挙げるように工夫が凝らされている。最小で最大の効果を挙げて、目的を達成

するのである。