おはようございます。

  相変わらず雲の多い晴れの朝、気温は27.2℃と高めです。

 

 

 

 大通りに面した実家。

 その前にある空き地。今日はその空き地にあった家のお話です。

 

 この街の高校は、街を挟んで駅と反対側にある。列車で通学する生徒は、駅から大通りを通って高校まで行く。自転車で通学する生徒も大通りを通ることもある。だから朝や夕方は学生服やセーラー服を着た生徒が多く見受けられる。そんな大通りに、私の実家はあった。

 

 私の実家は通り沿いの片隅を写真屋さんに貸していた。右隣は三味線の駒造りをされる店、左隣は小間物屋さんと裏で豆腐を作る店だった。大通りを挟んで向かい側には印鑑屋さんや駄菓子屋さんがあった。そしてほぼ正面には小さな薬局があった。いや薬店だったかもしてない。とりあえずここでは薬局としておこう。風邪薬や湿布薬などが並べられていた。店の中には小さな小窓があり、そこに店主が座っていた。店主が独り身だったかどうか、またお子さんがいたかどうかはわからない。私はほとんど家族と思われる方を見たことがないからだ。齢五十代ではなかろうか。こんな小さな薬局ではやっていけたのだろうかと今は思える。でも後年薬局を閉じた後に、近所に家を建てて住まれていたので、それなりに資産はあったのだろう。

 

 押川先生の日課の一つに、午後四時ごろになると店の前に腕組みをして立たれていた。下校する高校生の安全を見守られていたのか、それとも店の中に居るのが飽きたのか、その理由はわからない。天気さえ許せば、毎日でも店の前に立たれていた。その押川先生の前を徒歩や自転車に乗った高校生が通り過ぎていく。別段挨拶をするわけでもないが、先生はそれをじっと見ていた。

 私は小さい頃に、その腕にぶら下がったりして遊んでもらった記憶がある。先に述べたように押川先生には家族の匂いが無かったので、私を孫のように感じられたいたのかもしれない。

 そんな押川先生もやがて店を畳み、近所で静かに余生を過ごしたようだ。そして先生がいつ亡くなったのはか私は知らない。

 

 

 という昭和のお話でした。