おはようございます。
今朝も涼しく、気温は21.0℃です。天気は晴れ、いよいよ秋に近づいていますかね。
街の中の石橋が復旧されました。その前に書いた小説です。
街を流れる川のそばを散歩している。大通りにかかる橋の向こうに、地震で壊れた石橋が見える。今は解体されたままで、いずれは元に戻す予定だが、まだ工事の目途は立っていない。橋の必要性が薄いのと、石工が熊本城の石垣の復旧で手薄のためだろう。いつになることやら・・・。
そう言えば、大通りの橋とこの石橋の間には、昔は堰があったことを思い出した。川の近くの地名は「船場」という名でわかるように、昔は船着き場であった。潮が満ちて来たときに堰を閉めて、船の運航を助けるために設けられたのだろう。現に石橋の近くには広い石段がある。明治・大正時代には、行き交う船で、さぞ賑わったことであろう。今は堰の必要性がなくなったので、二十年くらい前に撤去された。今は両岸にその跡だけが残っている。そう言えば、その堰のおかげで魚釣りができたことを思い出した。
昭和四十年頃の小学校は、五・六年生でも午後三時過ぎには学校から帰宅していた。平日でも友達と遊ぶ時間はたっぷりとあった。
橋の近くにK君という同級生の駄菓子屋があった。学校から帰ると、ほぼ毎日彼の家に遊びに行っていた。別に駄菓子を貰おうという邪悪な考えではなく、川で釣りをするためである。最初は我が家から竹の竿を持って行ったが、後で彼の家に置いておけばよいことに気がついた。エサは彼の家にキープ(正式には、藁土の中に育てている)しているミミズ。それを持って堰の上やその近くで釣りをしていた。釣れるのはほとんどフナ、たまに水が濁っているとナマズも釣れた。釣った魚は、彼の家のさほど広くない池に持って行って放した。そんな日々を春から夏にかけて過ごしていた。
さて毎日午後五時頃になると、その堰の上にやって来る一人の老人がいた。麦わらのカンカン帽に絣の着流し、そして下駄といういで立ち。そして必ず川の上流から見て二つ目の堰の張り出しに腰を下ろして釣りを始める。その釣り方が、子供心に感心させられた。
ウキが沈むと、一瞬のうちに竿を合わせる。魚は見事に釣りあげられ、それをその老人は針から外すと川に戻す。毎日一時間ほど釣りをして帰って行く。
「あれはコンコンさんだよ」と友人が教えてくれた。でも何故「コンコンさん」と言うのかは教えてもらえなかった。友人も恐らく知らないのだろう。履いている下駄の音が「コンコン」と聞こえることか、または痩せているので狐に似ているからか、ついにその名の由来を知ることはなかった。
やがて中学生になり、毎日の魚釣りをすることは無くなった。コンコンさんも見ることは無くなった。川の水は昔と同じように流れているが、周りは大きく変貌している。川で魚釣りをする姿はない。コンコンさんもいないことは言うまでもない。
そんなことを思い出しながら、今日も散歩をしている。