砂嘴の上の町を離れて、富岡城に向かいました。
この緑色の池は堀。これは前からありました。
お気づきになられた方も多いかと思いますが、石垣や壁に風情がありません。というのはこの城は、観光目的で再建されたものです。ここは天草・島原の乱のあと、ほとんど破壊したために、何も残っていませんでした。これが幸いとなり、例の有り余るお金で町が造りました。残っていると文化庁やらがうるさいので再建することができなかったと思います。
この城は、何故か佐賀の唐津藩の寺澤家の所有でしたが、天草・島原の乱の後、天草は天領となり、城は破却され代官所がおかれました。しかし天草の中心は本渡市にうつり、寂れていったのです。
夏の太陽の下では明るく映りますが、冬空の下では寂しい町になります。
では城から帰ることにします。