行基菩薩ゆかりの寺~久米田寺~ | 自然派のブログ

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行基菩薩ゆかりの寺

 

~久米田寺~

(撮影日2023・8・29)

この記事は、

昨年の夏の猛暑の日に訪れた久米田寺の記事に成ります。

沢山未掲載に成っている神社仏閣があります。滝汗滝汗

この日の暑さは半端ない暑さで、上着は歩いているだけで、汗びっしょりになりました・・・😅😅

何度もお参りしている久米田寺ですが、壮大な池に来るとホッとしますね・・(⌒∇⌒)

久米田寺は、大きな池、行基が作った久米田池の前にあります。

久米田寺は・・

「行基四十九院」の一つです・・

それではお参りします・・

大門 

宝永3年(1706年)再建

雰囲気のある門で好きですね。

久米田寺(くめだでら)

大阪府岸和田市にある高野山真言宗の準別格本山、山号は龍臥山。本尊・釈迦如来。

行基ゆかりの御寺です!

遠忌(わかりやすく案内されています)

境内案内図

概略

所在地 大阪府岸和田市池尻町934
位置  
山号 龍臥山
院号 隆池院
宗旨 古義真言宗
宗派 高野山真言宗
寺格 準別格本山
本尊 釈迦如来
創建年 天平10年(738年
開基 行基
中興年 延宝2年(1674年
正式名 龍臥山隆池院久米田寺
札所等 和泉西国三十三箇所第23番
和泉八十八ヶ所霊場第88番
阪和西国三十三ヶ所観音霊場第15番

(ネットより)

●最初に触れて起きたい久米田池

行基が作った久米田池

行基行基が開削指導したため池のひとつである久米田池を維持管理するため、天平10年(738年)に行基によって創建されたと伝えられる。当時の寺域は、かなりの広域の規模であったと推測される。これが院号「隆池院」の由来である。

歴史

平安時代になると奈良興福寺一乗院の支配下にあった。

鎌倉時代、承久の乱により武士が乱入し荒廃したが、鎌倉時代中期になって再興された。

南北朝時代には天皇、皇族の帰依も深く、楠木正成とも密接な関係を持ち、手厚い保護が与えられたが、戦乱によって当寺も寺領を脅かされる事が多かった。室町時代になると足利尊氏・直義兄弟により全国に設けられた安国寺のひとつに指定された。
院号


戦国時代、様々な戦いの兵火等によりほぼ焼失した。しかし、江戸時代の延宝2年(1674年)に復興する。
宝暦年間(1751年~1763年)に修理、明和7年(1770年)に本堂の再建、
ネットより抜粋しました、

色々調べていると久米田寺の歴史も凄いものがあって、とても興味深いものがあります。
それではお参りしましょう・・
大門を覗くと正面に金堂が見えています・・
以降は伽藍の案内だけに成ります・・


金堂(本堂)
明和7年(1770年)再建。


金堂にお参りしてから境内のお参りをしていきます・・

金堂の院号
扁額「隆池院」は松平定信の筆

聖天堂 -
 嘉永7年(1854年)建立


多宝塔
 
2003年平成15年)再建

青い空にくっきり・・
見上げますね・・


大師堂 
 文政7年(
1824年)再建

扁額「弘法」
賓頭盧さんは、何処にお参りしても・・・
撫でられて、ツルツルになっていますね。(⌒∇⌒)


開山堂(行基堂)
 文政5年(1822年)再建

行基菩薩のゆかりの御寺・・
堺市出身の菩薩様、大変おこがましいですが親しみがわきます・・(⌒∇⌒)

鐘楼

観音堂 

 享和3年(1803年)再建。

千手観世音菩薩が祀られています・・

白髭稲荷大明神

現在塔頭は5院残っているそうです・・
塔頭はお参り出来るところはしてきましたが、中の画像は多数になるため、割愛させて頂きます😅😅
五大院 - 塔頭

阿弥陀院 - 塔頭。

華厳院 - 塔頭

明王院 - 塔頭

四国八十八箇所石仏群


靖霊殿

靖霊殿 - 八角堂。
1957年昭和32年)に法隆寺夢殿を模して建立。玄奘三蔵の御骨を祀り、さらに日清戦争日露戦争日中戦争太平洋戦争での岸和田市出身戦没者の霊も祀っている。
八角堂は法隆寺夢殿を模して造られていたんですね

昨年の古い記事に成りましたが、この日は猛暑で、お参りするだけで、汗びっしょりになって、管理している方に、暑いから気を付けてお参りくださいねと声を掛けられました
滝汗滝汗
この日は、池をしばらく見てから帰りました・・
久米田寺は好きなお寺の一つですね..!(^^)!
カメ友さん達は冬になると野鳥観察によく行かれているそうです・・


神社仏閣の未掲載記事は数年前から溜まっています、お蔵入りも出そうです・・滝汗滝汗
頑張って書きますね。
​おしまいですニコニコ