おはようございます。   いわなりちさとです。

 

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私は小学生の時に書道を習っただけで、そのあとは習い事というのはほとんどしてきませんでした。

 

 

 

フラワーアレンジメントをちょっぴり、茶道もほんの触りだけ。

時間やお金を理由にすぐにやめてしまいました。

 

 

 

習いたくなかったということです。

 

 

その私が今、師匠と呼びたい人に会って、月1回の稽古事を始めています。

 

 

 

今になって思うに、私は恥ずかしいので、失敗する姿を他の人に見せたくないという思いがベースにあったような気がします。

 

 

 

今回の習い事も最初は見学させてほしいといったんですが、それではわからないと師匠はわかっていたんでしょう。

 

 

 

体験しなさいと言われ、おっかなびっくり参加しました。

仲のいい友人がしたいと言ったので、ついていったというのが本当のところです。

 

 

 

二人だけのレッスンは思いのほか楽しくて、レッスンの前後のお話しなども奥深く、続けることにしました。夏のことです。

 

 

 

なんというか、師匠は私の出来が悪いからといって叱り飛ばすような人ではなく、違うという指摘はきちんとしてくださいますが、柔らかいいい方なので、傷つくことがありません。

 

 

 

教えていただくということのありがたさをいつも感じていられるのです。

 

 

 

これは深い理解をした上で指導してもらっているということであり、師匠と私の相性がいいということでもあるようです。

 

 

 

教えていただくことが理解でき、共感できるのです。

さまざまな共通点があるのも話すうちに見つかりました。

 

 

 

そして、だからと言って、自分が私を助けようというようなおかしな力の入り方をされません。

 

 

 

するのはあくまでも私。

学ぶということは「まねぶ」ことだと教えていただきました。つまり、まねるということです。

 

 

 

最初はカタチから。

でも、理論もしっかり教えていただくので、だんだん動きや姿勢が変わってきつつあります。

 

 

もう長いこと体にくせがついているので、すぐに治るわけではないとつねづね言われるのにも救われます。

 

 

 

すぐに会得できるわけでない、不器用な私が一歩進んだことを認めてもらえたらまた一歩進もうと思えるのです。

 

 

 

多彩な方なので、さまざまなイベントをされていて、すべてに参加できはしないけれど、これはというものには参加していると自然と一緒にいる時間が増えていきます。

 

 

 

でも、だからって私は師匠のスタッフではなく、あくまでも一個人として参加しています。

 

 

 

この距離感が絶妙で、いい気分なのです。

 

 

 

還暦間際になって、生涯の師匠に巡り合えた喜びを今、かみしめています。