歴史とは勝者側からみた真実の一つに過ぎないわけで...
それは時の権力者によって都合よく書き変えられ、改ざんされていくものだ
親鸞の言葉の意図する所然り、絆という言葉の変質然り
それは仕方のないことだ
だが敗者側にも真実があり、それを埋もれさせてはいけないと思う
歴史を勉強する、語る、そして今に活かすということはそういうことだと思う
そしてそれを両者摺り合せて一つの事実に近づけていく作業なんだと思う
それを一方の論理だけを盲目的に信じて一方には証拠をだせと恫喝し
議論の場にも立たせないことを果たしてフェアとよべるだろうか?
一方通行の真実をまるで
事実かのように偽装する
と学者でもない、教師でもない、なにものでもない俺が偉そうに語るが
勝者の論理で憲法解釈という意味不な言葉が生まれ
辻褄の合わない自衛隊の存在をこじつけようとしてきた
そして辻褄合わせに限界が来ると今度は力技で憲法に
明記して改ざんまでしようとしているこの時勢
おかしいと思わんかね
ちょっと前、俺は自分を敗者のままでいい
負け犬の遠吠えでいい むしろそれを誇りに思うと書いた
例えば某団体において、彼らの真実は まっつんの乱である
もし俺が勝っていたならそれをまっつん革命と書き換えるだろう
小さき声 声なきものの声はいつだって群衆にかき消されていく
埋もれてる声達を どうか拾ってあげてください