沼津便り6月号
2024年5月25日 編集 松本 徹
自動車業界で仕事をしていると想いも寄らぬことが経験出来るのだ。
僕は自動車メーカーと部品メーカーで仕事をして来たので、両方の会社の大変さを経験させて頂い
た。多くの部品は溶接およびボルト・ナット締結により組み立てられていく。更にこれらの工程
は重要工程に指定されているケースが多く、この工程で不良を出すとリコールに繋がる事もある。
僕はシート組み立て工程の締結工程でリコール対応を過去に経験させて頂き、今も機会がある毎
に締結工程の重要性を語っている。ボルトを締め付けるだけでも技術的には大変奥が深く今も
日々改善が実施されているのだ。東京の会社で仕事をしている時に工場長会議で締結の話をして
欲しいと言われて、この時の経験を話させて頂いた。説明会が終わると出席していた役員から
「あなたは毎日枕を高くして眠れませんね。」と皮肉を込めて嫌味を言われた事を今でもはっき
りと覚えている。しかし品質を司る神様は品質をないがしろにする人間には必ず罰を与える様に
なっている。
月曜日会社に行くとこの役員が事務所の中で顔
色を変えて走り回っていた。何事かと聞くと愛
知県の工場から締結不良の重要問題が発生した
と言うではないか。その日から過酷な再発防止
対策活動が始まり、集結するまでに1年近い時
間を要したのだ。
さて今月は陸さんの話をする事にした。本人に
も既に了承は取ってある。
僕は保定市の自動車会社で2015年から仕事
を始めた。出来たばかりの研究院で不慣れな仕
事をこなしていたが、この会社は3ヶ月に一回
外国人に対して厳しい査定が行われた。その評
価が基準に満たないと即座に解雇され、住んで
いるマンションも2週間以内に退去しないとい
けないと言うルールがあった。この様な環境の
中で多くの人がこの会社を去っていった。僕も
1年過ぎたあたりから仕事をするモチベーショ
ンが下がり、中国で就職活動を始めた。その活
動を初めてすぐ、上海の人材会社と知り合いに
なり、上海にあるサンルーフを作る会社を紹介し
て頂いた。面接はテレビ会議で行われ、会議に
は総経理と人事マネージャーと通訳として陸さ
んが出席していた。陸さんは日本のダイハツ、ト
ヨタ自動車で仕事の経験があり、日本人の仕事
のやり方も理解してくれた。面接の後で上海の
ある工場に行き初めて陸さんに会って交流し
た。1週間程度上海に滞在し、僕は保定市に
戻った。程なくして陸さんから連絡があり、顧
問としての採用が決まったと連絡があった。
僕は陸さんがいるなら安心して仕事が出来ると考えてこの会社で仕事をする事に決めた。
そうして僕は直ぐに荷物をまとめて上海での生活を始める事になったのだ。上海での生活は保定
市とは全く違い都会的で満ち足りた環境を僕に与えてくれた。総経理は僕の為に2階付きのホテル
の部屋を用意してくれ、専用の運転者が毎日ホテルと会社を往復してくれた。会社ではサンルーフ
異音が問題となっており、その真因追求と対策案に対してアドバイスしていた。陸さんは新規事業
部の責任者としてこの会社では仕事をしており、ステップの開発を行ったいた。当然この会社で
も色々な事がおこり、嫌な事も経験した。陸さんの部門で開発していたスッテプは最終的にコス
ト的に採算が取れないと言う結論が出て、陸さんは責任を取り、この会社から去る事になった。
僕は総経理から未然防止を設計者に教えて欲しと言われ、毎日若い設計者にDRBFMを教えていた
が、ある日人事から呼ばれ就業ビザの切り替えが上手く出来ないので、1ヶ月後日本に戻って欲
しいと言われた。その間上海の日本大使館に行き、書類の申請とか、かなりの時間を費やしてい
たので、この様な事で日本に戻ることになるとは予想もしていなかったのだ。
その後陸さんはアンテナの会社で仕事をはじめ、一度広州研究院で彼と会って話をした。
それから陸さんとの付き合いは無くなっていたが、急に勉強会を開催して欲しいと連絡が来た。
聞くと彼は今浙江省のフィルターメーカーで仕事をしていると言う。6月には仕事で日本に来ると
言うので今から会うのを楽しみにし
ている。今までも多くの出会いと別
れを経験してきたが、彼との出会い
は何か運命的なもの感じている。
沼津から見える富士山の雪も少なく
なり、そろそろ初夏が始まろうとし
ている。
6月は久しぶりに上海に行く事にな
りそうで、ワクワク感が止まらない
のだ。