時の流れ | 北海道のまっつのブログ

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 私の自宅の最寄り駅になるJRの駅が昨日の最終列車を最後に廃止ということになりました。

 

 学生時代には通学でお世話になっていたんですけど、社会人になってから乗降していなかった。

 子供の頃はまだ国鉄の時代で、JRになってから乗降場から駅になったはずです。

 列車が停まる本数が少ないので、当時は近所にたくさんのお兄ちゃんお姉ちゃんがいて、学校に入学するとなると、とりあえず駅に向かって歩いていれば、みんなが声をかけてくれて、みんなの流れについて行って、列車に乗り降りして、学校まで行ったものでした。

 帰りの便も午後からはちょうど良い時間は二本しかなく、駅で待っている間に色々な話をしたり、遊んでもらったりしました。

 

 しかし、自分が親になった時は、子供も少なく、学校への送り迎えが当たり前のような感じになりました。

 自分も子供を迎えに行ったことがありますが、自分の頃はたまに見かけるおじさんが「●年○組の××呼んで来い」って言われることがあって、断るとか嫌だという選択肢がなく、上級生でも教室まで探しに行ったものですが、今の時代では考えられないですよね。

 

 今は個人の権利が強くなって、さらには仕事や趣味も多様化し、価値観の違いが大きくなっている。

 それは悪いことではないけど、ある程度、自分と違う意見や考え方も、賛同しなくても認めるということも必要だと思う。

 

 町内に駅があったことで、今回、たまたまではあるけど、自分が駅を締めることで役所に行ったり、電気を止めるなどの手続きなどをさせていただいたけど、まさか自分がこのようなことをするとは思っていなかった。

 

 ただ今まで気にしたことがなかったことですが、多くの人が関わり、様々な考えや思いがあるんだということがわかった。

 JRだけではなく、役所にも担当の人がいたり、マニアの人が書いているノートを見ると、東京や大阪から来たって普通に書かれていた。

 何人かと会話させてもらったけど、本州から来ていて、とても熱い思いを聞かせてもらった。

 地元にいて何も知らなかった自分が恥ずかしくなりました。

 

 人って見えているだけではなく、見えていない部分にも、多くの人が関わって、多くの人を助けているものなんですね。

 確かに時代の流れで、新しいやり方にしていくことも大切なことです。

 でもその引き換えで、本来育っていくべきことが必要なくなったり、自由や権利という名目で、思ったことをネットなどにぶつけ、そのせいで人がどのような思いをするかまでは考えないことも多いと思う。

 

 昔はそういうことって集団の中で教わったものなんですけどね。

 「それは失礼だ、謝れ」って言われました。

 でもネットの世界では投稿した人が罰せられるというのは、数にしては極端に少ない。

 ほとんどの投稿に対して、言い返されることも、もっと勉強しろとも言われることが少なすぎる。

 どこまで真実かもわからない、よく読めば記者の思い入れの方が強いような内容で、しかも自分には関係のない事件等なのに、投稿されているコメント見たら、とても心が痛くなります。

 

 最終列車を見送って、まっすぐ家に戻りたくなくて、少し走りながら思い出を振り返ってみたら、こんな思いが強くなりました。

 久しぶりの個人的なつぶやきでした。

 

 

 最終列車が去ったホーム

 ただ感謝です。