先生に叩かれた時のこと | 北海道のまっつのブログ

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 最近は先生が生徒を叩けないと言う。
 私は子供の頃、叩かれたことが何度かある。
 ただ自分が悪かったと思うことは反省して納得もするので笑い話になるが、なぜ叩かれたのか、叩かれるほどの悪いことだったのかと言う記憶は今でも残っていることがある。
 その時先生は「お前のことを思うから叩くんだ」と言っていた。でもその表情は恐怖以外には感じられなかった。
 私の親もすぐ手を挙げるタイプだった。
 だから怒られるのが怖いからと考えるようになった。

 私も人に手を挙げたことがあるが、その時は教育だ、愛だなんて思っている暇はなかった。
 私の場合は腹が立ったからと言う単純な理由だ。親もそうしてたから、叩くのは悪いことだと思わなかった。
 でも自分が親になった時に、それが正解なのか?と感じ始めた。

 自分より弱いものを暴力や権力で押さえつけたとしても、心まで押さえつけられているのだろうか?
 その場では服従したとしても、心の中で「今に見ていろ」と思われてしまっているのなら、隙を見せた時やこちらが困った時に味方になってくれるのだろうか?

 やってはいけないことは、親や先生が怒るからダメではないのだ。ダメな理由がある。それを伝えない限り、人のせいにしたり、善悪の区別がつかないと思う。
 叩かれるには叩かれる理由があるとよく言われたが、叩く方にも覚悟をしてもらいたいと思うのだ。叩けば、あとに引けなくなるものが出て来る。
 それより、どうしてそんなことをしたのかを聞けるだけの心のゆとりを持ちたいと思うのだ。良いか悪いかはそれから決めれば良いことだ。それに価値観が違うから、なるほどと思えることだってある。

 元メジャーリーガーの有名な方も話してたが、怒ってばかりだとプレーが委縮すると言う。それよりもなんで失敗したのか、仲間のプレーを見て考えてごらんとアドバイスすると言ってた。
 私はこの考えにとても共感する。
 そんなに立派なことをした訳ではないが、子供や後輩たちはさっさと自分を越えるくらいの人間になってもらわないと困るし、今の考え方がこの先ずっと通用するとも思ってない。

 思いを伝えることは時間がかかるし、根気がいる。でも人が悲しむことを望むという社会や考え方は、教育が行き届いていないのではないかと思うのだ。
 確かに防御も必要な場合があるが、世界の歴史を勉強してみると、人が悲しむことをして永遠に讃えられると言うことはない。
 こういう角度から、私は暴力は反対である。