「じゃあ、肉体労働して水田でエネルギー作物つくりゃいいじゃないか」と考えているそこのあなた、そんな無責任なこと言うもんじゃありませんよ。

そんなこと言うんなら自分でまずどうぞ。

機械化以前・化学薬品導入以前の日本の農家(というより、モンスーンアジア北東部の水田稲作農家)では、激しい肉体労働によって生産力を維持していました。

代掻き・田植え・草むしり・(害虫除けの)油差し・稲刈り・天日干し・籾摺り(もみすり)...

延々と労働作業は続きます。

籾摺り後、出荷するときも人が俵を背負うことが珍しくなかったのです。

(女性が)俵を三俵背負えないと嫁にいけない、と本当に言われていたのです。

ちなみに、当時の(150年以上前の)日本人女性の平均身長は150cm未満だったんですよ。体重なんて45kgを下回っていたはず。そういう人間が180kg近いものを背負っていたんですよ。

そういう類の労働に耐えられないと、「機械を使わずに人手だけでエネルギー作物を生産する社会」には近づけません。だから私のここでの議論は「機械化」を前提にしています。


こう見てくると、農薬にせよ、化学肥料にせよ、農業機械にせよ、トラック等の自動車にせよ、すべて直接間接に化石燃料の投入を意味していて、その化石燃料の投入が人間が農業生産するためにどれほど大きな役割を果たしているか、よく分かりますね。

逆に言うと、「化石燃料の減退」は即「(頭数を減らさずに)人間が生き延びられるかどうかの瀬戸際」を意味するということです。今日明日どうのというわけではありませんが、長期的にはそういうことです。

「たくさんの人が(全世界で数十億人単位で)死んでも構わない」というのなら、話は別ですが。