ガソリンや軽油を燃料とする内燃機関が車両の動力源となることが、「エネルギーの人類史」的視点から見て、連続性があり電気エネルギーの利用より早く始まったのは必然と言える、と論じてきました。

一旦利用が広まると、インフラが整備されます。

自動車用の給油所が街中に立ち並びます。

田舎道にもやっぱり給油所が立ち並びます。

給油所に液体燃料を運搬するためのインフラも整備されます。

タンクローリー - 自動車の燃料を運ぶ自動車 - を自動車メーカーは製造販売します。

鉄道会社はタンク貨車を保有し走らせます。

石油会社は製油所にガソリンや軽油を分留する設備を設置します。製油所から貯蔵タンク、或は貯蔵タンクから給油所へと燃料を運ぶパイプラインも、敷設が可能な場所には敷設します。

こうして世の中、液体燃料で走る車両だらけになったわけです。

液体燃料を車両に注ぐ給油所だらけになったわけです。

液体燃料を運ぶタンクローリーとタンク貨車だらけになったわけです。

一旦こうしてインフラが社会に行き渡ってしまうと、これを例えば「電気自動車に電力供給するインフラ」で置き換えるのは容易ではなくなります。

「社会の慣性」とでも言いますか、そういう方向性ができあがってしまったわけです。

できあがってしまうと、ガソリン車やディーゼル車の利用は、電気自動車に対して一方的に有利になります。

「歴史的な連続性に由来するインフラの普及によって生まれた(どこででも安く使える)優位性」

これが、#182で述べた「石油系燃料で走る自動車の、電気自動車に対する利点の3番目」です。

しかし、大前提となっているところの石油供給が不足する、という事態になると、この有利さが一気に弱点になってしまうわけです。