あなたが昔のイングランドの発明家だったとします。

イタリアで蛙の足が震えたと聞いたからといって、突然「石炭なんかだめだ。電気を使おう!」と思うでしょうか?


薪の燃焼・「薪の蒸し焼き(木炭)」の燃焼

「石炭の蒸し焼き」の燃焼

「石炭の蒸し焼き」の燃焼を運動エネルギーに変換

「石油を急激に燃焼」させて運動エネルギーに変換

この4つの段階には連続性がありますね。どれもみな「ものを燃やして」います。


薪の燃焼・「薪の蒸し焼き(木炭)」の燃焼

「石炭の蒸し焼き」の燃焼

「石炭の蒸し焼き」の燃焼を運動エネルギーに変換

「電気エネルギー」を運動エネルギーに変換

これだと4番目に大きな飛躍がありますね。多分その時代の発明家でもそうそう思いつかないでしょう。


でもこれだと連続性があります。そして、歴史はその通りに進展しました。

薪の燃焼・「薪の蒸し焼き(木炭)」の燃焼

「石炭の蒸し焼き」の燃焼

「石炭の蒸し焼き」の燃焼を運動エネルギーに変換

「石油を急激に燃焼」させて運動エネルギーに変換

「石油を急激に燃焼」させて得た運動エネルギーを「電気エネルギー」に変換


ですから、ガソリンエンジンを搭載した自動車が電気自動車より先に登場したのには、私が思うに、必然性があったということです。

それだけ「人間はものを燃やすことにはなじんでいる」ということですよ。

「電気がピリピリ」ってのは、人類史の中では新しい事象だということです。雷という自然現象を除いて。