最初の記事に戻りましょう。7月2日(日)日本経済新聞31ページの「エネルギーの理科 5 EPR」です。

この記事を読んでいくと、日本では数少ないピークオイル論者、石井吉徳先生(東京大学名誉教授)の言が出てきます。

石井先生には「ハバートのピーク」に関する著書(共著)があります。

「豊かな石油時代が終わる」(2004年日本工学アカデミー刊)

こういうウェブサイトも運営されてます。

http://www007.upp.so-net.ne.jp/tikyuu/

私には日本経済新聞社に対してものすごく不満があります。

石井先生の指摘(発言)を記事に書いているくらいですから、石井先生に取材したのでしょう。

なるほど。確かに「エネルギー問題を『エネルギー収支』という観点でとらえること」については、石井先生は日本で数少ない識者と言えるでしょう。石井先生に取材するのはまったく妥当だと思います。

しかし、石井先生を取材すれば、上述のウェブサイトや著書について、日経の記者たる者、存在すらも全く知らないということはないはずです。にもかかわらず、記事には「ハバートのピーク」については一言も触れていません。


ひょっとして、私ごとき素人、それも本業が別にあって片手間で調べている者に対してすら、日経の記者が劣るということなのでしょうか。

そうなのかもしれませんが(だとしたら、実に嘆かわしい、情けない状況です)、私には別の解釈があります。

こういうのを見ると、私は「作為」を感じるのです。「何を書かなかったか」というところに作為を感じるのです。単なる状況証拠に過ぎませんが。

この記事に限りません。日経・日経産業・日刊工業の各紙に目を通していますが、今のところ私は一度も新聞紙上で或いはTVニュースや日本語の大手ネットメディア上で「ハバートのピーク」とか「ピークオイル」とか「石油ピーク」といった言葉を見たり聞いたりしたことがありません。

ところが、経済産業省が公開した「新・国家エネルギー戦略」には出てくるのです。しかも、この「新・国家エネルギー戦略」の内容については、その部分部分が日本の大手メディアにはときどき出てくるのです。それにもかかわらず、「ハバートのピーク」や「ピークオイル」という言葉は、大手日本語メディアからはまだ出てこないのです。

次の疑問は「どういう『作為』を誰が誰に対して何の目的で為しているのか」ですが、状況証拠しかない以上、これまでに書いたこと以上のことはまだ言えません。

いずれ気付いたときに指摘しようと思います。