チンギス・カンには4人の息子がいた。
1241年の君主オゴデイ(チンギス・カンの孫)が死んだ。
これより前の1234年、オゴデイの弟トルイが原因不明の死を遂げている(註1)。
オゴデイの死後すぐに、彼の兄チャガタイも死んだ。
長男のジョチは、最初のヨーロッパロシア遠征時にすでに死んでいる。
オゴデイが死んで、チンギス・カンの孫の代で権力抗争がモンゴル政権内で起こった。
・長男ジョチの系統(バトゥ)
・三男オゴデイの系統(グユク)
・四男トルイの系統(モンケ)
の間でモンゴル高原の支配権(つまりカンの位)をめぐる抗争が5年間続いた。
1246年グユクがカンの位についた。彼は西方(註2)攻略計画を発表し準備を始めたが、即位2年後の1248年に突然死亡した。
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註1: 金滅亡に際して最も戦功があったのは彼である。トルイの死は権力抗争の結果であった可能性は否定できない。
註2: トルキスタン⇒中東⇒東地中海 を目指す計画だったようだが、詳細をまだ確認していない。
金を滅ぼした後、モンゴル政権は支配地域の組織化にとりかかった。各地の行政機構の整備に入った。
それとともに、1236年東西へ遠征軍を派遣した。
西は現在のカザフスタン西部~ヨーロッパロシア~東欧(ポーランド・ハンガリー)まで達した。(註1)
東では、南宋への遠征を行った。
が、のっけから躓いてしまった。指揮官(註2)が出陣直後に急死してしまった。総指揮官が直接しきしていた中央部隊が後退してしまった。残った左右の部隊は進軍を続け漢水流域(註3)で南宋軍と戦ったが、守る南宋側の都市を落とすことができず、結局撤退した。
この後、モンゴル-南宋間では20年近く膠着状態が続く。
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註1: 「胡と漢」シリーズは「シナ農耕社会と北方騎馬民社会との関係」を対象としているので、ここでは深入りしない。ロシア史におけるモンゴルの影響には重大なものがある。
註2: クチュという人物。チンギス・カンの親族の者だと思うが、mattは血縁関係を確認できていない。急死した原因は不明。
註3: 現在の湖北省近辺。漢水は長江に流れ込んでいるので、広い意味で長江流域と言える。
http://news.ft.com/cms/s/4801969c-365d-11da-bedc-00000e2511c8.html
「今年の中国の貿易黒字は、対前年比で3倍になる」という。1千億ドル規模だそうだ。 @@
しかも周小川の発言...
・内需を振興させ、輸出入の不均衡を緩和したい
・そのために、国内の富裕層の消費を喚起したい
1番目はともかく、2番目は社会主義者失格じゃないか♪
(追記)
NIKKEI NET 10月7日:
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20051007AT2M0700B07102005.html
Chuck 、俺の目にも「為替操縦の確かな証拠」に見えるよ!
NIKKEI NET の広告から、こういうサイトへとたどり着いた。
↓
http://www.toyotsu-e-mro.com/jp/index.html
「アスクルの何でも屋版」というか、そういう商売だ。中国国内の日系企業が着払いで配送されてくる品物を受け取れるらしい。宣伝の通りならCNY払いだ。
...??? 香港で convert しているのか? かもしれない。
たまには石油の話。
「大陸棚は全部大陸国(シナ)のものだ」という主張をしたがっている政権なので、なかなか返答しにくいのかもしれない。そこまで分かって提案したのなら、面白い 狙いかもしれない。「日韓中間線」を主張する布石になる可能性も考え得る。
NIKKEI NET 10月3日:
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20051003AT1F0301P03102005.html
リビアから嬉しいニュース。どんどんやってもらおう。
FT.com 10月3日:
http://news.ft.com/cms/s/c4c0396c-33f7-11da-adae-00000e2511c8.html
matt は本件については完全に出遅れてしまいました。中間決算準備にかまけていた... という言い訳は事実です。(^^;)
私がいまさら書くより、中共内部人事までカバーしている面白い投稿をご参照いただく方がよろしいようで。
↓
「日々是チナヲチ」10月1日投稿:
http://blog.goo.ne.jp/gokenin168/1
本件については、
山田さんからのトラックバック:
http://yamada.ti-da.net/e513517.html
プロパンガスさんのご指摘:
http://ameblo.jp/propanegas/entry-10004814349.html#cbox
をいただいています。
「日々是チナヲチ」
http://blog.goo.ne.jp/gokenin168
台湾・香港・中共政権等、シナ関連新聞ニュース等を扱っているブログです。日々新しいネタを追いかける方には面白いブログだと思います。これくらい漢語を読めるようになりたいものです。
そこには、個人のものも含めて為替関連のブログがたくさん掲載されているのですが、この"New Sinology"も掲載されていることに昨日気づきました。
おそらく"FT&FX"時代に、どなたかが登録してくださったのだと思います。
で、"FOOREX"を運営している方々に申します。"New Sinology"(旧FT&FX)は為替ブログではなくなりました。もし通貨市場について書くとしたら、中共政権の金融政策について書くときくらいのものだと思います。
削除いただくのが妥当ではないかと考えます。
彼には四人の息子がいた。それぞれの分担地域は以下のようなものだった。
長男ジョチは当時すでに死亡 ・・・ その子オルダ: 今日のカザフスタン北東部
次男チャガタイ ・・・ 今日「東トルキスタン」と呼ばれている地域の大部分
三男オゴデイ ・・・ 今日「ジュンガル盆地」と呼ばれている地域の西部
四男トルイ ・・・ モンゴル高原
また、チンギス・カンの弟オッチギンがモンゴル高原東端~マンチュリア地域を担当していた。
西夏を倒した後2年間は四男トルイが国権を代行し、その後モンゴル高原で遊牧民の集会「クリルタイ」が開催され、1229年三男オゴデイが次期「カン」として選出された。
翌1230年、モンゴルは金を攻撃した。モンゴル側の兵力が10万、金側が30万。モンゴル側は軍を3つに分けて進撃した。
次男チャガタイがモンゴル高原で後詰。
四男トルイは右翼軍。陝西省を南下。
オゴデイは中軍。山西省を南下。
オッチギンは左翼軍。河北省を南下。
1232年、トルイ率いる右翼軍が金の主力20万と会戦し勝利した(註2)。その後、金の帝室関係者が首都開封を脱出し南下したが、1234年南宋との国境付近でモンゴルと南宋の部隊に滅ぼされた。
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註1: 戦死ではなく、避暑中に病死(?)した。場所は現在の寧夏回族自治区の南部、固原県付近。この地域は、魏晋南北朝期より西域と西安(長安)とを結ぶ交通ルート上にあたっている。高原地帯で遊牧民等が夏に集まってくる地域。ソグド人の墓が最近発掘されて話題になっている。
註2: オッチギンの左翼軍はゆっくり南下していたが、河北の住民がモンゴル軍を避けて黄河を渡河し、開封周辺まで逃げ込んだ。これにより金の首都開封では食糧不足になってしまい篭城戦をとれなくなってしまった。そこで金側は接近してきたモンゴル右翼軍と会戦すべく開封を出た。金側がモンゴル右翼軍のおそらく4~5倍の戦力を持っていたが、負けてしまった。食糧不足が効いていたものと思われる。