当時の胡漢国際関係は大きく見るとこうなっていたと言える。

① モンゴル高原の覇権を、タタール部とオイラート部が東西に分かれて争っていた。

② 明はモンゴル高原の覇権を直接取りにいくことまではできなかったが、勢力下に置こうとしていた。

華北に拠点を置くシナ政権が胡漢関係における安全保障を追求する場合一般に言えることだが、シナ側は以下を目的とする。

優先順位1: モンゴル高原からの騎馬民部隊が直接農耕地帯まで攻撃してくるのを防ぐ。

優先順位2: 少なくとも、モンゴル高原が単一の政権の支配下に置かれてその勢力の矛先が南に向かわないよう、分裂状態を維持すること。

優先順位3: できれば、モンゴル高原を直接自らの支配下に組み入れること。

永楽帝は、思い切って3を指向したわけだ。