細かい話ばかりしてきた。少し視点を変えよう。
永楽帝はその生涯で5回モンゴル高原へ自ら遠征している。
永楽帝の治世の後は、モンゴル高原へ遠征する明朝皇帝は現れなかった。いや、正確に言うと次代の宣徳帝は一度出撃した。が、比較にならない小規模で、本気でなかったことは明白だ。
明朝は「農耕社会出身者による最後の伝統シナ社会政権」だ。明の後は清だが、清はマンチュリア出身の騎馬民による政権だ。だから、モンゴル高原やチベット高原、トルキスタンにまで軍事力の展開を比較的簡単に行っている。
明はそうではない。
昔の隋唐政権とも違う。隋唐政権は五胡出身者が中核を構成した政権だった。だから、モンゴル高原やマンチュリアへ影響力を及ぼすのはそれほど難しくなかった。
結局、ライフスタイルの問題があるということだ。
馬に乗って育った人達が編成した軍隊は、草原地帯(半乾燥地帯)を簡単に移動できる。通常の生活どおり、家畜を連れて移動すればよい。
遠征しても補給に困らない、ということだ。
家畜をつれて移動する、と書いた。放牧・遊牧生活というのは、「歩き回る食料に囲まれる環境を自ら作り出し、その中に住み込む」ライフスタイルだ。
食料が自力で歩いたり走ったりしてくれる。その食料は飲み物(乳)も供給してくれる。
農耕社会の軍隊が移動する場合は、穀物を車に載せて運ばなければならない。草原地帯は水が簡単には得られないから、水も運ばなければならない。
補給が難しい、ということだ。