これまで述べてきたモンゴルと明の戦いは、現在の河北・山西・陝西の各省と内蒙古・寧夏の各民族自治区にまたがっている。

明建国直後のこの時期、明の首都は南京にあった。現在の北京は「北平」と呼ばれていた。

明皇帝(太祖朱元璋)は、腹心を北平に常駐させた。

そして、現在の河北省北部の山岳地帯および山西省北端に合計102箇所の塞(とりで)を築き、防御陣地線を敷いた。

これ以後、明側はモンゴル高原へ打って出ることを止めた。(註)

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註: 部隊が打って出た報告を聞いた皇帝が、防御線まで引き返すよう命令した例がある。