胡と漢(21)~(64)で描いた時代における騎馬民社会は、シナ農耕社会とのかかわり方において、それより前の時代の騎馬民とは異なって見える。そこから教訓を引き出せる。
教訓1: 固有の言語を維持する努力をすべき
ウイグルは、中東発祥のアルファベットが中央アジアに伝わってきた文字を採用し、それで彼ら自身の言葉を綴った。
この表音文字は後にモンゴル、満洲(女真)に取り入れられ、現在でも使われている。
キタン(契丹)、女真、西夏のタングトは独自の文字を創製した。
匈奴や鮮卑は自分たちの言語を書き表す文字は持たなかった。彼らの記録は漢語で残っている。
この間の差は大きい。
自分たちの言語を自分たちの文字体系で書き表す努力それ自体が、自らの ethnicity に対する意識の現われだ。匈奴や鮮卑には明確には無かったものだ。そして匈奴や鮮卑は最終的に自ら漢人化していった。
キタンやモンゴルは「我々は漢人とは違う」という意識をより強く有していた集団だったということだ。
だからこそ、モンゴルは今日も「漢人とは別」という意識を持ち続け、独立国家を樹立できたのだと考える。