副題:南宋攻略作戦(2)

籠城していた南宋軍をモンゴル軍は自軍に組み入れた。クビライ太っ腹だった。

① 籠城軍の指揮官に漢水流域(湖北省・河南省南西部)の軍事指揮権を与えた。

② 籠城軍をまるごとクビライ直属の親衛部隊(侍衛親軍)に配属した。

昨日までの敵にものすごい厚遇を与えた。これは次の効果を生んだ。

(a) 旧南宋側籠城軍をモンゴル側になびかせることに成功した。南宋側は一度援軍を差し向けたが、それが失敗に終わった後は籠城軍を事実上見捨てていたことが背景にある。

(b) 籠城軍の指揮官、呂文煥を中心に、南宋側に対して諜報工作を仕掛けることができるようになった。

(c) 南宋は事実上軍閥が割拠した上に乗っかった政権だったが、クビライの籠城軍に与えた厚遇が知れ渡るにつれ、(b)の内通工作が効果を発揮し、諸軍閥がモンゴル側に降伏するようになった。

これ以後ほとんど戦闘らしい戦闘無しにモンゴル軍は長江を下った。3年後の1276年、南宋政府は降伏し、首都「臨安」(註)を無血開城した。

その後3年ほどの間に南宋の残党を制圧し、モンゴル政権は華中・華南を手中に収めた。

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註: 現在の杭州市。地図でいうと、上海市の左下にある。