金を攻略した後、1217年からチンギス・カンはモンゴル部隊を四方へ派遣した。

まず、西夏を攻撃した。

次にトルキスタン遠征隊を派遣し、契丹の後裔「西遼」を滅ぼした。

朝鮮半島(註1)へ派兵し、契丹の残党を討った。

西遼よりさらに西にあった、ホラズム王国(註2)へ「通商団」を派遣した。これは偵察隊だったが、ホラズム側により全員殺害されてしまった。

この殺害事件をきっかけに、モンゴルはホラズム王国を全面攻撃し、滅ぼした。残党を追いかけて、現在のアフガニスタンを通過してさらに南下し、現在のパキスタン北部まで攻め込んでいる。

別働隊がトルキスタンから北へ向かい、現在のカザフスタンのほぼ全域とコーカサス・ウクライナ東部まで進み、同地域のトルコ系を中心とする遊牧民を味方に引き入れた。

ここまでで一部の部隊は残しつつ、1224年チンギス・カンはモンゴル高原に帰還した。

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註1: 朝鮮半島の大部分は、当時は高麗が支配していた。このとき高麗はモンゴルに協力した。

註2: トルコ系イスラム教徒遊牧民が支配していた国。