それでは、「意識しておくことが、現代の日本人にとって有益」とmattが考えることを以下に挙げる。

① 「中華の文明」は(少なくとも過去においては)同化力がかなり強く、「胡」の側は時間はかかっても最終的には漢人社会に同化してしまった。逆に言うと、「中華の周辺にいる異種族(ヤマト民族も含む)」の側としては、同化されたくなかったら、領土でも、人口構成でも、言語でも取り込まれないようにしないといけない。

② 上記①の裏返しだが、漢人の側にとっては支配者が中原の農耕社会出身かどうかはそれほど重要ではない。要は、「自分は漢人、中華の側にいる者だ」と自称し、「中華の文明」の原則論を受け入れればよい。言い換えると、異種族が中華に参入したいのならそれは可能である。積極的に同化すれば支配者としてすら受け入れられ得る。

③ ヤマト民族も含めて、中華の周囲にいる異種族は、上記①あるいは②のいずれを選択するか考えておくべきだ。日本は伝統的に①を選択してきた。(註1)

④ 文献がどんなに言葉で飾られていようが、シナの政治を考える際に軍事力を除外することはできない。騎馬民出身者であっても、為政者は「徳」によって統治しているかのようにふるまいたがる。権力者の発言や宣伝の中から儒教的言辞を排除したところで、権力政治の要素として何が残るかを抽出して考えることが重要だ。儒教的言辞だけ考えればよいわけではなくなったが、この考え方は現在も重要だと思う。

⑤ 政治・戦争の手段として外国の勢力を国内に引き入れることは、シナの歴史においてはしばしば見られる。(隋唐統一政権の成立には突厥の影響が大きい。これについては後日述べる)

⑥ あなたがシナの歴史について、「何千年も偉大な統一王朝が続いた」印象を持っているとしたら、その認識は甘い。確かに統一王朝は史上何度も登場した。しかし、ばらばらになっている時期はかなり長い。地域地域で割拠しやすいということ、そして割拠したり統一したりと政治変動プロセスが起こる度に激烈な戦争が発生していること、を頭に入れてシナを観察するべきだ。

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註1: 「胡と漢」を越えた話になってしまうが、明治維新以来、日本人はシナ中心の東アジアの秩序=冊封体制に対する挑戦者だった(註2)。シナに対する元朝貢国だった東~東南~中央アジアの国々・諸地域に対し、今後も引き続いて「対等な主権国家どうしの国際関係の原則論の構築」をわれわれは働きかけていくべきだと matt は考えている。blog 上で華夷秩序についていろいろ述べているのも、こういう問題意識があるからだ。

註2: このことを日本の大手メディアの大半は理解したくないように見える。我々が「臣従」しない限りシナは根本的には満足しないだろう。日本人どうしの間で「心情的な歩みより」で成立している「仲の良さ」を日中関係(だけでなく、国家間の関係一般においてそうだが)に期待するのは誤っていると考えている。そんな生易しい世界ではないと思う。