mattは地理学が好きだ。趣味といっていい。派生して歴史好きになった。中国史全体はごく浅く読んだだけだが、「胡漢の相克/交流」という観点から書かれたものに限って言えば、日本語の文献は結構読んでいる方だと思う。もちろん専門の研究者には全然かなわないが、平均的な日本人よりはだいぶ知っている方だろう。

胡漢の関係を見ることは、「日本がシナとどうつきあっていくべきか」を考える上で参考になると思う(註1)。そこでこの切り口(胡漢&日シ)で「テーマ:Sinology」を綴っていこうと思っている。


3月4日に「華夷秩序」について書いた。「胡が漢の文明を受け入れていれば、胡を漢が実効支配するかどうかは問われない」という内容のことを書いた。これはこれで正しいとmattは考えているのだが、同時に多分に建前だとも思っている。矛盾することを言う奴だ、と思われるかもしれない。が、本当にそう思っている。

それはシナ人が「面子」を重要視するからであり、かつ「他人がどう思おうが、自ら『面子が立っている』と主張できる状態を確保すること」を重要視しているからだと思っている。このことは実利を軽視しているということではない。


10世紀に「遼」という国があった。ほぼ旧満州と外蒙古に相当する地域を支配し、また現在の北京周辺をも支配した。

遼は戦争に強く、宋と何度か戦って有利な条件で講和した。最初の講和では「宋は遼を『皇帝』として認め、宋が兄、遼が弟の関係」とされた(註2)。これは本来のシナ人の感覚で言うと十分屈辱的だ。「天に二日なし」。皇帝はこの世に一人だけのはずだからだ。それが二人になってしまった。また、兄弟であることを認めるということは、同列に近く、とって代わり得る存在と認めているわけだ。

それでも何とか「兄は弟より上」ということで面子をある程度保った。mattから見るとばかばかしい面子だが、こういうことがシナ人にとっては重要らしい。


下の註2にいきさつを少し書いたが、「独善的な連中だな」とmattは思う。自分が優位であると喧伝できないと腹立てて騒ぐ。同時に実利も追求していて、「華夷秩序」の感覚を建前で持ち出しつつ、取れるものは取ろうとしてくる。だが相手が強いと折れる。普通のpower politics なのだが、「華夷秩序」の感覚は頑として持っていて、機会あらば見下そうとし、また自分の面子と実利を満たすため色々ちょっかいを仕掛けてくる(註3)。

好むと好まざるとにかかわらず、政治的にはこういう面がある人たちだということだと思う(註5)。





註1:ここは相場blogなので、「日本とシナの関係が歴史的にどうだったか」について考察するのは意義のあることだと思う。(プロか個人投資家かに関係なく)真剣に外為市場に関与している人はほぼ例外なく国際情勢に関心を持っていると思う。現代の政治経済と直接関係が無くても、背景について情報収集しようという姿勢のある人が多いと思う。一方で、歴史の細部を学ぼうとする人は相場を張ることには関心ないことが多いと思う。だいたい相場を張っていたら歴史書を読み漁る時間はなかなかとれない。だからこの場で、(わずかな部分的なものではあるが)これまで知り得たことやmatt個人の意見をさらけ出して読者に考える材料を提供する価値があると思っている。

註2:2回目の講和のときは「遼が兄、宋が弟」になってしまった。1回目のときに長城以南の地を一部割譲したのだが(現在の北京周辺)、それを取り返そうと宋は戦いをしかけ、敗れてしまった。それでも面子を捨てたことにより、この後遼宋間では平和が保たれた。その後遼が金という別の国に滅ぼされてから、また北から宋は攻め込まれるようになった。

註3:「色々なちょっかい」は今日でもそうだと思う。教科書や靖国参拝や日本の安保理常任理事国就任への反対など。「隙あらば出来る限り自分の面子を立てできれば実利も」というなかなか露骨な姿勢だ。(註4)

註4:こういうシナの行動は日本に与える効果もさることながら、「面子を立てようとしていることを国内向けにアピールする」効果を狙うことを意識してもいるとmattは思っている。

註5:シナ人個々人が嫌な人だと言うつもりはない。