前回、胡と漢とで異なる役所を設置して、それぞれを別々に統治した、と書いた。もともと社会の構成の仕方が違うし、言語も生活習慣も生産活動の形態も異なるから、別々の統治は合理的とも言える。

遊牧民は核家族~数家族規模の小さな集団に分かれて少しづつ移動しながら暮らす(註1)。小集団をいくつか集めた中規模グループを編成し、それをさらにいくつか集めた大規模グループを編成し、というようにして巨大な集団・社会(国家)を形成する。集団の構成員は戦時には兵士となり、集団ごとに部隊を編成し、首長の下に統合されて巨大な軍隊になった。小集団を束ねる中規模・大規模集団のリーダーが有力政治家/軍人となっていく。

もう一方の漢人の農耕社会。世帯がいくつも集まって集落「邑(ユウ)」を形成する。壁で囲われた邑の中に住み、農作業のときは外へ出る。集落が大きくなれば「城」と呼ばれるようになる。(註2) その「邑」や「城」ごとに戸籍を整備し、世帯ごとに登録する。役所を設置する。いくつも城が束ねられて広域行政の対象となり、そこまで来ると次第に中央政府の仕事になって、中央政府に官庁が設置されて広域行政を担当するというわけだ。

もっとも、これはあくまで典型的・理想論的な組織形態で、政局が乱れに乱れた3~4世紀の華北では、農耕社会の行政機構も乱れに乱れたであろうことは想像に難くない。集落ごと(血族ごと?)に集団移住したり、戦乱から逃げてきた人々を寄せ集めた集団が、新たに集落を形成するようなことが頻繁に行われ、戸籍に載らない人も大勢いたらしい。

農耕社会を基盤にした軍事力の編成も集落の自衛の必要からもちろんあった。地方地方の農耕社会に依存して軍事力が編成された。地方地方での有力者(大地主)が中心となってその地域の庶民まで集めて軍隊を編成した。(註3)

「中期」398年~524年の期間には、上述のように社会の構成原理が異なる胡人と漢人を統合する実験が行われた。鮮卑系胡族政権「北魏」が胡人を農耕社会に組み入れようとした。(註4)

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註1: 分散して暮らさないと家畜が草を食い尽くしてしまう。人口密度を高く出来ない。養える人口は農耕社会に比べはるかに少ない。

註2: 日本人の感覚と違うのは、大陸では「壁で囲わないと危なくて夜眠れない」ということだ。山賊や狼・虎(動物より人間の害の方がはるかにひどい)が徘徊しているからだ(註5)。古い時代のシナの集落は壁で周囲を囲うのを原則としていた。

「城」というと、「軍事上の要塞」から発展した日本の城(しろ)をイメージし易い。が、漢語の「城」は日本語の「都市」や「街」を意味する。語源的には、「土」+「成」=「城」。「土で出来ている」ということ。都市の周囲を囲う壁のこと。

語源的な類義語として「國(国)」を挙げておこう。部首「くにがまえ」は、都市が壁で囲われていることを示している。その囲った中に、「口(くち)」と「戈(カ)」が入っている。「口」は人間を意味する。「戈」は武器の一種で軍事力を意味する。「人間がたくさんいて、軍事力をもっている、まわりが壁で囲われているやつ」ということだ。3千年ほど前の都市国家のことだ。

註3: この時代は中央政府が弱かった。地方の大地主を束ねる広域にわたる有力者どうしが中央の政権争奪戦をしていた。これは華北もそうだったし、華中以南もそうだった。この勢力争いに「胡と漢」の相克が混ざり合っていたのが、シナ史上の一大混乱期「魏晋南北朝期(AD 184 ~ 589)」だ。(註6)

註4: その実験は結果として失敗し、胡人中心の兵士が胡族政権北魏に対して反乱を起こした。その結果、5世紀~6世紀前半にかけて90年ほど華北を統一した北魏政権(註7)は二つに分裂する。この反乱軍の中から「隋」そして「唐」の政権の中核を占める人脈が登場する。この事件については後ほど「後期」を説明する際に述べる。

註5: 「山賊」は今でもいるらしい。10年ほど前に中国出張したときのこと。北京から山東省へ行く際、日系商社の人が笑いながら「mattさん、気をつけてくださいね。山東省には山賊がいるんですよ。道路を走っていると警察の格好をした連中に呼び止められて、身ぐるみ剥がれますからね」と言われた。どのくらい遭遇する確率が高いのか不明だが、とにかくいることはいるらしい。また、集落中でこぞって近くの鉄道線路へ繰り出し通りかかる列車を略奪する、などという事件が実際に起こっているらしい。

註6: 魏晋南北朝の「魏」は三国志の「魏」。「晋」は三国魏の後継者となった司馬氏が樹立した「晋」で、三国志の終わりの方に出てくる。鮮卑の「北魏」は南北朝の「北朝」の一つで、三国志の時代よりざっと150年ほど後。今後しばらく北朝中心に書いていく。南朝についても見るべき歴史がもちろんあるが、この「胡と漢」シリーズの目的にそぐわないので、ここでは扱わない。

註7: 「後趙」や「前秦」に比べると、「北魏」が華北を統一した期間は長かった。