教義の素朴な疑問です(´-ι_-`)
シック歴も長くなく、ビデオセンターでも真面目にノートを書いていた方ではないのでわかる方、以下の2つを教えてください。
こういった疑問を持っている人は他にもいるのではないでしょうか。
①想像本然の世界と人格完成
人類始祖のアダムとエバが善悪を知る木の、木の実を食べて、裸でいることが恥ずかしくなった。
男女の体の違いを意識し始め、「性」を象徴する部分ですので、教義としても最重要なことが理解できます。
またここでの比喩表現は、木の実を指すでしょう。
以上のように総合的に精査して、祝福を受けて、創造本然の霊肉の復帰が嘘ではないなら、祝福家庭やチャーチなどは裸でいるべきではないのでしょうか?
比喩と言うなら、木の実の部分だけです。この話全体が比喩なら、この教義自体の存在意義の否定であり、何も残りません。
十字架が悲しみなら、祝福後も服を着ている現状も神様の悲しみじゃないのですか?
もちろん、祝福を受けてない人(非原理)がいる前では服を着るべきです。変態だと思われますので。
※祝福を受けた人たちは裸の付き合いが本然では?
②善悪を知る木
「善悪を知る木・・・それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るもの
①の通り、結局は食べてしまいましたね。
しかし、聖書に書かれているように、すんなり食べたわけではなく迷って躊躇したことは誰もがご存知でしょう。やけくそと言いましょうか。
つまり、食べる前から「善悪を判断できている」ってことです。
悪いと思ってないなら、何も迷わずに食べているでしょう。
※善悪は最初から分かっていたはずでは?性善説ってやつですね。