DIGITALIAN in 札幌⑮~エピローグ② | mattii☆絶好調超

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ちょっと智くんに偏りがちに嵐愛をつぶやいてましたが・・・今りちゃ(イマココ)



いや、長いな、しかし。



で、『DIGITALIAN』部分について。


私はとても素晴らしかったと思います。

演出部分の是非は・・・彼らはアイドルだし、ジャニーズだし。

ド派手な演出があってもいいとも思います。

全員参加型のイベントがあったって、いいんじゃない?とも思う。

参加することで彼らに愛を伝えてるーーって思うのも楽しんじゃえばいいんじゃない?

と。


が、彼らの場合、せっかくお祭り的なアラフェスとかブラストと、

今回のようなアルバムツアーを別にやれているのなら

ド派手な演出はお祭り的なコンサートで

アルバムツアーは、彼らの本質を魅せる、

という方向にシフトしてもいいんじゃないか?

とも思ったかな。

ま、ショーだからね。

全部が全部シンプルでも・・・つまんなくなっちゃうかもだし。

わかんないけど。

2日目、参戦前にパンフを読んで、日経エンタを読んで。

進化したい、という嵐の想いはよくわかった。

でもさ、新しい技術を駆使した演出を見たいのか?

と聞かれればそうじゃない。


結局、私たちは何が見たいのか?

智ソロのところにも書いたとおり、

彼らの肉体から発信されるものを見たいんじゃないかな。

顔、表情、いちゃいちゃもそう。

でも、本当のところは、彼らの声であったり、

肉体であったりを感じたい。

だから、私は、彼らの肉体が進化していく様を見続けたいのです。

たとえば、歌。

たとえば、ダンス。

これらが立ち止まってしまっては・・彼らを追い続ける意味がない。

だって、「老い」は必ず訪れるもので、どのアーティストも平等に抱えてる。

それでも、彼らを追い続けたいと思うのは、

歌声に心打たれるから。

踊る姿に、ステップに、姿勢に、指先に、足のつま先まで、

魅了されるから。

・・・そうじゃない?


今回のデジコンでは・・・彼らの進化を見たような気がしました。

それは・・決してデジタル技術を駆使した演出ではなく、

彼らから発せられるパフォーマンスに、です。


デジコンはね・・メインステージでの5人のパフォーマンスが多いな、

という印象を受けたの。

そして、踊ってる印象。

これは、素晴らしいことのひとつに思う。

たしかに、メインステージで歌い、踊ることは、

どの席からも近くない(アリーナからは近くても、下から見上げる構図になるし)。

でも、パフォーマンスって考えた時には、

それが一番、どの席からも彼らを堪能する術のような気がする。

(あ、まぁ、センターでもいいけど。)


で、今回の・・というか、ここ数年の嵐のダンスについて。

嵐の・・と言っていいのか、智くんの、と言った方がいいのかわかんないけど

私が見始めた頃とは明らかに変化しているように思う。

すごく感じることは、非常に揃うようになったということ。

5人の体の向き、手足の角度、高さ、動くスピード。

そういうものが揃っていると最近強く感じるの。

実際には、群舞のように揃っているか?と言われればそうではない。

けれど、意識を持って、揃えようとしていると感じることがある。

踊りに対する熱量を揃えている、という印象?

そのひとつには、

智くんが(本気ではないとしても)ありありと抜いてる感がなくなった、

というのも、ある。

私が嵐を見始めた頃、

智くんは明らかに5人で踊るときの抜け感が強かった。

しやがれで北村さんに指摘されたこともありましたね。

今も・・・5人で踊るときの智くんが、本気の「大野智」か?

と聞かれると、それは否、であると思う。

では、何故、「抜いてる感」がなくなったのか?

智くんは智くんで、

(これは友達の言ってたことでもあるんだけど)

例えば、メンバーに振付することで、揃える意識を改めたのかな?と思ったりします。

以前、何かの雑誌で、メンバーに振りつけるときの話。

「それぞれ、踊りに対する熱みたいなものも違うから・・」

みたいなことを話してたことがあって

それを実感したのが大きいのかもしれないと思うの。

熱が違ってあたり前。

智くんは「嵐」としての自分の魅せ方を確立したように思う。

手を抜くことでレベルを合わせたつもりでいた、

そこにはある種、

自分のレベルで踊ったら、嵐とは合わない、と思っていた

驕りのようなものがあった気がするのだけど

それでは「嵐」として魅せることにはならないことに気づいた、というか。

去年かいつかのZIPのQQで・・・

翔ちゃんが歌唱力か、ダンス力、どっちがほしい?って聞かれてて

翔ちゃんが言ってたこと、

「ダンスは、自分一人がうまくなっても仕方ない。

嵐である以上、嵐として揃ってることが大事」みたいな、ね。

それを智くんも悟って、体現できるようになったんじゃないかなって思う。

「まだまだ踊れる」

「嵐の曲は余裕」

ハワイだっけ?どこでだったか聞いた、智くんの言葉。

余裕を持って、4人と揃えることを覚えた彼の動きは

いつにもまして素晴らしいと思うのです。

実際、数年前の歌を今、踊ると、その頃の智くんより美しいと感じる。

そういうこと。


さらに、他4人の温度の上昇。

これは・・アラフェスなんかで「踊る嵐」が求められてる・・って

彼らが実感したことが大きいのかなぁ?

と思うけど。

揃えよう、という意識は智くんだけのものじゃなくて、

5人共通の意識。

なので、パフォーマンスにあって、誰かの突出もいらない、

余計なアヤをつけない、

けれど、一人一人の踊りには個性がある。

それが、「嵐」を表現することに至った5人の答えかな、と。

これが、ジャニーズたる、嵐の魅力とも思う。




それから、歌。

歌については、まだまだ課題は多く・・・^^;

より一層の精進を期待したいところではあるのですが。

コンサートで生の声を聴くと、決して酷いわけじゃなかったりする。


今年のデジコンは、

このアルバムが「リードボーカル大野智」の復活を感じたように

歌声にあまり無理のない構成になっていたと思います。

正直言って、音程の不安定なメンバーはいます。

けれど、それは歌割りの妙でフォローされていたと思う。

コンサートというシチュエーションでは、これで十分のような気がします。

少々、怪しげな音程すら、生だわ~~♪って楽しめるんだから、

それもまた、よし。

ということで。

もちろん、個々に進化してほしいところではあるけれどもね^^





というわけで。

デジコンを見て、感じて。

さらなる16年めの嵐さんが、どこに舵を切るのか?

どこに進んでいくのか?

ますます楽しみになった次第です。


演出の奇抜さもさることながら、

パフォーマンスの進化、魅せ方、

これも感じることができたから。

ますます彼らを好きって思った。



これが、私の感じたこと。

生の彼らをこれからも感じたいと思えること。

彼らに会って幸せだって思えること。

それが、すべてよね。