智に働けば角が立つ。
情に棹(サオ)挿せば流される。
意地を通せば窮屈だ。とかくこの世は住みにくい


夏目漱石の書いた「草枕」の冒頭一節を引用しました。

つまり人に接しながら世間を渡る(生きる)には複雑で面倒

人の思いや考えは千差万別

対峙する相手に対して正義を振りかざせば

相手側にすれば唱えた側は悪と立場が変わる

良かれと世話を焼いて助言しても
立場や思想の相違で余計な節介となる

とかく人とのつながりは難しい

自己の範疇で決めた尺度を推し測りながら

相手の反応に対して期待をかけてしまいます

「このように事態が流れたから」

「相手はこう対処(回答)するはず」

と思い決め付けても、意外とそうならない事がよくある

予測と間逆な反応(状況)に直面して

「こんなはずじゃないのに!」 「非常識!」 

「此処までてやったのに何と言う恩知らず!」

と憤慨し罵声を浴びせ批判してみるも

恩は感じるもので着せる物ではないですね

恩は見返りを期待する物ではなく

期待の代償として施すものでもありません

怒りや批判の基準は何処にあるの?

世間の常識?

いいえ・・・

あなたが知り得る限りで、

貴方の周りに存在する常識に照らして判断しているから

それに沿わない事態は不快になり、

時として怒りがこみ上げてくる

はじめにも言った

千差万別だと

そして十人十色なのです

たとえ、世間一般の常識に照らして当てはまらなくとも

その人にとっては常識の範疇はもっと違ったところにあるとか

意に介さないくらい無頓着で重要とする所は他にあるとか

だから、相手に期待すべく反応は無意味と悟り

こんな考え方や行動を取ものだと納得して振舞えれば

すでに人としての格は、相手より上に座しているのだから

相手の成す事や言動・思考が可笑しく思えもするし

自然と顔が綻んでしまうから面白い

負けるが勝ちとは、雅に此の理を現すのです。