松永章生さんのブログから、

http://matsunagajofuu.blog.fc2.com/blog-entry-38.html

 

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宋以前の諸本の中から取り出し、分類されて引用されている。その中に「四夷部」として『魏志』倭人伝が引用されている。これによると「投馬国」は次のように記載されている。

 於投馬国

 つまり「於」がついている。別の文献の表記として「投馬」以外に「於投馬」とあるから、発音上「イ」の脱落ではなく、漢字音「於」の脱落と考えられる。「於投馬」の発音は魏晋代、次のようになる。

 於投馬 ia du mæ イアドゥマ

 これであれば、語頭に濁音が来ないので倭人語として成立する。だから発音から見ると「於投馬国」という表記が正しいことになる。

 『魏志』倭人伝によれば、投馬国(於投馬国)は五万余戸の大国である。邪馬壹国(邪馬臺国)は七万余戸であるから、それに匹敵する。戸数のわかる国は次のようになっている。

 対馬国 千余戸
 一大国(一支国) 三千許家(ほぼ三千戸)
 末盧国 四千余戸
 伊都国 千余戸 (『魏略』逸文には戸万余)
 奴国 二万余戸
 不彌国 千余戸

 

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邪馬台国が九州にあって、投馬国が出雲・・・

どうもここがしっくりこない。

出雲という大国があったと今知っているのでそう感じるが、

実際にこの時代、どこまで分かっていたのだろう?

 

水行20日

 

こんなに時間をかけていくところは、絶対遠いところだという思い込みもあるのかも?

魏からたくさんの荷物をもってやって来た、これまでの海沿いから内陸に入り、

いきなり水行20日って?

 

投馬国は、いったいどこにあるのか?

 

 於投馬 ia du mæ イアドゥマ

 

音だけ聞いたら、八女あたりに聞こえるのは気のせいだろうか?