どこにあったのか?邪馬台国!
長い論争を経ても決着がつかない邪馬台国。
そもそも邪馬台国という名だったのか?
実際に魏志倭人伝を読んでいるわけでなく、歴史書を見るとたいていそうだが、
ある人が言っている話を読んでいる、見ていることになる。
実際のことは二の次。
実際の当時の音も二の次。
それではやっぱりわかるはずがないだろう。
魏志倭人伝とは、
「三国志」の中の「魏書」の、さらにその中の第三十巻「烏丸・鮮卑・東夷伝」に書かれている「倭人条」の呼び名
ということ。
三国志は3世紀末の280年〜290年代に書かれている。
魏志倭人伝もその時期に書かれたもの。
陳寿という官僚が、実際に倭(日本)に行った人の話を聞き、それをまとめて記している。
「景初2年」、西暦238年の年号が出てくる。
魏志倭人伝は280年〜290年代の40〜50年ほど前の倭(日本)のことを書いている。
はたして、倭が日本なのかは、わからない。
倭につながりのある国が日本なのか?
倭から日本が独立?誕生したのか?
たいへん興味深いところである。
邪馬台国の難升米(なしめ)が魏の洛陽に行った200数十年前に後漢をおこした光武帝の時代に
奴国の使節が洛陽を訪問している。西暦でいうと、25~57年の間。
さらには、後漢六代目、安帝の時代に、倭国王、師升(すいしょう)の使節団が160人もの生口を
連れて洛陽を訪問している。西暦でいうと、107年。
邪馬台国の難升米は、魏志倭人伝によると、景初3年の西暦でいうと、239年に訪問している。
生口男女10人というささやかな人数。
邪馬台国への道のりについて、魏志倭人伝の内容は、
| 倭人在帶方東南大海之中、依山㠀爲國邑。舊百餘國、漢時有朝見者。今使譯所通三十國。 從郡至倭、循海岸水行、歷韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里。 始度一海千餘里、至對馬國、其大官曰卑狗、副曰卑奴母離、所居絶㠀、方可四百餘里。土地山險、多深林、道路如禽鹿徑。有千餘戸。無良田、食海物自活、乗船南北市糴。 |
又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國。官亦曰卑狗、副曰卑奴母離。方可三百里。多竹木叢林。有三千許家。差有田地、耕田猶不足食、亦南北市糴。
又渡一海千餘里、至末廬國。有四千餘戸、濱山海居。草木茂盛、行不見前人。好捕魚鰒、水無深淺、皆沈没取之。
東南陸行五百里、到伊都國。官曰爾支、副曰泄謨觚・柄渠觚。有千餘戸。丗有王、皆統屬女王國。郡使往來常所駐。
東南至奴國百里。官曰兕馬觚、副曰卑奴母離。有二萬餘戸。
東行至不彌國百里。官曰多模、副曰卑奴母離。有千餘家。
南至投馬國、水行二十曰。官曰彌彌、副曰彌彌那利。可五萬餘戸。
南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。 官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳鞮。可七萬餘戸。
自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳。 次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、 次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、 次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、 次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、次有烏奴國、次有奴國。 此女王境界所盡。
其南有狗奴國。男子爲王、其官有狗古智卑狗。不屬女王。
自郡至女王國、萬二千餘里。
倭人は帯方郡の東南、大海の中に在り、山島に依って国邑としている。もとは百余国、漢の時に朝見する者があり、今(記述の時点では)30国が使者を通わせている。
帯方郡から倭に至るには、海岸に循って水行する。韓国を経るのに、時に南し、時に東する。〔倭の〕北岸の狗邪韓国(こやかんこく)に到着する。7000余里である。
始めて一海を渡る。1000余里。対馬国に至る。その大官は卑狗(ひこ)といい、副は卑奴母離(ひなもり)という。絶島で400余里四方。土地は、山が険しく、深い林が多い。道は獣道(けものみち)のようである。1000余戸が有る。良い田畑がなく、海産物で自活。船で南北の市へいく。
また南に一海を渡る。1000余里。名を瀚海という。一大国に至る。官は卑狗(ひこ)といい、副は卑奴母離(ひなもり)という。300余里四方。竹、木、草むら、林が多い。3000許(ばか)りの家が有る。田畑に差が有る。田畑を耕すが食に足りず、南北の市へいく。
また一海を渡る。1000余里。末廬国に至る。4000余戸が有り、山海に沿って住む。草木が茂り、前を行く人が見えない。魚やアワビを捕るのが巧みである。水の浅い深いによらず、皆が泳ぎ潜って取っている。
東南に陸行し、500里で伊都国に到着する。官は爾支(にき)という。副は泄謨觚(せもこ)柄渠觚(へくこ)という。1000余戸が有る。世、王が有り、皆、女王国に属する。帯方郡の使者の往来では常に駐する所である。
東南に行くと奴国に至る。100里である。官は兕馬觚(しまこ)という。副は卑奴母離(ひなもり)という。2万余戸が有る。
東へ行くと、不弥国に至る。100里である。官は多模(たも)という。副は卑奴母離(ひなもり)という。1000余家が有る。
南すると投馬国に至る。水行20日。官は彌彌(みみ)という。副は彌彌那利(みみなり)という。推計5万余戸である。
南すると邪馬台国(邪馬壹国)に至る。女王が都する所である。水行10日、陸行1月。官は伊支馬(いきま)が有る。次いで弥馬升(みましょう)という。次いで弥馬獲支(みまかくき)という。次いで奴佳鞮(なかてい)という。推計7万余戸である。
女王国の以北は、其の戸数・道里を略載することが可能だが、其の他の傍国は遠く絶(へだ)たっていて、詳(つまびらか)に得ることができない。斯馬国、己百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、 好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、 呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、爲吾国、鬼奴国、 邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国。此れが女王の境界が尽きる所である。
其の南には狗奴国がある。男子を王と為し、其の官に狗古智卑狗(くこちひく)が有る。女王に属せず。
帯方郡から女王国に至る、1万2000余里である。