今日は穏やかな一日だった。
昨年の震災から一年が経った。
普通一年前の出来事って遠い昔なのだがまるで昨日のことのように思い出せるのは、
やはりそれだけ衝撃的な出来事で心に深く刻まれたからに違いない。
あの地震の日。
天井が崩壊したオフィス、避難して余震が続く中寒空の下で待った2時間。
帰宅指示が出てこれまた崩壊したロッカールームであわてて着替えて車に飛び乗り、
遠回りして帰った道すがら見た景色。
信号が機能しない中もみんな譲り合って交差点を通過していた。
夜が更けるにしたがって真っ暗な闇の中、
渋滞の車のヘッドライトだけが明るく光っている異様な光景。
駅の東口は停電だったが、西口の方は何事もなかったかのように明るかったっけ。
1階の奥さんが、旦那さんが鈴鹿出張で不在のため怖いからとMATT一家に一緒にいてほしいと請われ、ステップワゴンの車内で12時くらいまでTVのニュース映像を見ていた。
そこには津波に襲われる東北の町や、大きく揺れるビルなどが映っており、
原発の被災という信じられないニュースも伝えられていた。
不安を感じながら真っ暗の家に帰って、停電のため風呂にも入れずに家族3人で寝たのも今となっては懐かしい。
翌日、自分の車はガスがなかったため置いて帰ったのでかみさんと一緒に取りに行ったら、会社の駐車場の土の地面にはタイヤの跡が4つ残されていた。
それほど大きな地震だったとあらためて背筋が凍る。
その昼の1時には電気が復旧した。
幸い水道は止まらなかったが、電気、水道などインフラのありがたみを身に染みて感じた。
朝食に、前日かみさんが買ってきたステーキ肉を3人で焼いて食べたのがいい思い出だ。
冷蔵庫の電気が来ていなかったので傷むからと仕方なく調理して食べたが、
朝からステーキにかぶりつく一家という絵が大変な状況の中、
なんだか微笑ましく感じた。
MATTたちはその程度で済んだが、被災地の実情は一年経った今も厳しい。
8月に会社がアレンジしたボランティアに参加して、思い出の地の陸前高田のガレキ撤去に出向いた。
そこで見たものは、気が遠くなるほどの仕事の山。
まだまだ被災地の復興は遠い。これからもこれまで以上の支援が必要なのだ。
だから今日で一年経った、ではなくまだ一年しか経っていないと思って引き続きいろんな形で応援していかないといけないのだと思う。
陸前高田市のガレキの山(2011年8月2日撮影)
