お久しぶりですにっこり

最後にブログ更新していたのは2020年6月…2年以上前でした爆笑

さっきログインしてブログ周りも全くせずこれを書いています。

当時不妊治療していた方たちも2年経てば子育てに忙しいころかもしれないですねアセアセ

 

久しぶりの今回のブログはついに違う方法に進むと決断したことグーキラキラ

そして久しぶりに再開した理由は気持ちの整理のため!

長くなりますがこの2年の振り返りと決断に至るまでの気持ちを書いていきます。

 

この2年はコロナ渦ながら毎週通院を欠かさず不妊治療を頑張っていました

まぁ頑張ってたといっても4回の採卵全て多精子受精or分割停止で培養中止だけど凝視

 

2021年暮れに一過性の虚血性大腸炎で1週間絶食入院したり(すぐ完治しました!)

2022年年明けに急に眠れず食欲もなく無理に食べて吐いたりお腹が痛かったり

頑張って出勤しても意図せず涙が流れていて魂が抜ける

看護師の友達に相談し心療内科を勧められ「適応障害」と診断されてたりオエー

 

”死にたいわけじゃないし…死にたくないけど、逃げたい”

 

これがひたすら頭の中グルグル無気力

心療内科の先生から「不妊治療を休めないか?」と言われましたが…

「時間がないから休むわけにいかない」と伝え抗不安薬もお断りパー

妊娠に影響が極めて低いとされる睡眠導入剤を半錠飲んで過ごしていました。

2か月仕事も休みをもらって少しづつ元通りの生活にニコニコ

 

今でも色々考えると眠れないときもあったり何もできない日もあるしよく泣くけれど

たくさん頑張ってきたから、心も疲れちゃったよね?と自分に優しくしています昇天

 

さて、ここからが一大決断に至るまでの気持ち!!

 

やっぱり苦しいのは毎週の通院、採血予防接種

これによって毎週時間とお金が消えていくのがつらい。

このお金で夫婦2人おいしいものを外食できたのに…と思う真顔

 

そして卵胞が見えた時の”今度こそよだれ”という期待と、

凍結できなかったときの”やっぱり今回もダメかネガティブ”という落胆。

さらに何か月も、一番長いときには1年以上卵胞が1つも見えてこなくて

”もう卵は出てないのかもしれない”という焦りと絶望。

 

それでも通院しなければ、耐えなければ、自分の子供に会える未来は無い物申す

 

採血の痛みや内診の不快さ、「卵今日も見えないね」という先生の言葉。

毎週自分を責めて家に着いてたくさん泣いて

でもここで負けるわけにはいかないと悲鳴を上げるメンタルを見て見ぬふりして

AMH0.04と診断されてから丸4年が経ちましたくまクッキー

 

来年には34歳になります。

もしかしたら、たまたま出てきた卵胞で妊娠するのかもしれませんにっこり

このまま年齢を重ね卵子自体の質がさらに下がり期待できなくなるかもしれません絶望

 

たくさん頑張ったんです。

たとえこの決断・方法を反対する人がもしいるとしても

どれだけこのつらさを、苦しみを、推し量れるかな無気力

 

本当は、私の遺伝子を受け継いだ子供が欲しいです。

 

諦めたわけじゃない。

「えー!目と輪郭は私似だよねー?」なんて家族や友達と何気なく笑いあいたい。

でもきっと、きっと難しいし時間は残酷にも進んでいきますドクロ

 

旦那さんの寝顔を毎日見ながら、”早くお父さんにしてあげたい”って思う。

旦那さんのご両親や義妹、自分の家族にも子供を抱っこしてほしい。

何より、旦那さんとたくさん喧嘩しながら、

察せないの?本当にもうむかつきなんて言いながら2人で子育てしたい。

 

卵子提供を考えていると実母にだけ打ち明けたとき言ってくれました。

「あなたが何年も苦しい思いをしていて、それが少しでも楽になる方法があるなら、

それを試せるなら良いと思う。ママはあなたが産んだ子なら可愛いよ」と気づき

 

先生が言ってくれました。

「10か月間お腹の中であなたが食べたもので育てる。

胎動だって感じるし、陣痛の痛みを経験するのも大変な出産もあなたがする。

遺伝子上のつながりがなくても確かにあなたの子供だ」と気づき

 

夫婦でたくさん話し合いました、何時間も、何か月も。

最初に卵子提供の話をしてから1年以上経っての決断でした。

旦那さんもやっぱり私の遺伝子を受け継いだ子供が欲しいと話しています。

私だってそう。でも時間は待ってくれません驚き

 

未来は誰にもわからないけれど、

今決断しても、10年後に決断したとしても卵子提供しか結局方法がないとしたら…?

たくさん葛藤して悩んで、この道を後悔なく私たちなりの正解にしていく。

こうして今回の決断に至りましたお願い

 

並大抵の道のりじゃないこと、妊娠・出産がゴールじゃないことも覚悟しています。

きっと卵子提供に進んで私と旦那さんの子供がいる夢が叶う、叶えられる。

自分が産む子供に会える。そう信じて一歩進みだしましたランニング