私が生まれ育った戸建ての家はストレスとは無縁の幸せな環境であったために
新興住宅街の悪評など何も知らずゆとりのある戸建てに見えたここを選びました。
しかし暮らしてみればここはモンスターの檻の中でした。
売り文句である「閑静な住宅街」とは程遠い「騒がしい住宅街」でした。
二面道路に面した大きな窓からは大好きな太陽の光が入りますが
実際に入ってくるのはモンスター達の姿と声でした。
「井戸端会議」「道路遊び」
新興住宅街の恐ろしい惨状を知らない人はこの二つのキーワードを聞いても
ちょっとぐらいいいんじゃない?そんなにいけないの?と多分思うのでしょう。
実際にそのように第三者には言われるぐらいですから。
他の方のお話を聞いていても共通しています。
人数がすごいのです。騒ぎ方が度を超えているのです。
新興住宅街は閉ざされた無法地帯です。
例えばうちの前ではよく15~20人ほどが集まります。
井戸端中に子を遊ばせるために道路にはおもちゃが散乱し落書きだらけです。
親の気を引きたいのか子供達は絶叫します。奇声を発します。
かける人数分です。
親達はまるで煩い居酒屋の中で喋っているかのような大声で話します。
しつこいですがかける人数分です。
さらにボールのドスドスバシン系の振動音や
行ったり来たり繰り返されるプラカー音は本当に煩いのです。
それに加え小学生達のサッカーやバスケなどの遊び。
1グループの集いが2~3時間でも代わる代わるやってこられて井戸端をされると
うちから見れば「毎日ずっとうるさい」のです。
楽しんでいる側は時間はあっという間でしょう。
でも苦しんでいる側の時間は現実より長く感じられるのです。
これが雨の日以外ほぼ毎日数時間に渡り行われるわけです。
そしてこのような人達が集まる場所は大抵決まっています。
十字路、丁字路、袋小路、道路族の家の前。
うちの住宅街でいつも集まっているのはこのような場所です。
それが他人の家の前であろうがこのような人達には関係ありません。
道路なので車も通りますが手前まで来て停止してから
ダラダラと避け始めるような人達が多いです。
窓の前に煩い人達が集まるので我が家の景色は迷惑民達。
ペアガラスなんて余裕で突き抜ける臨場感ある騒音も合わさり
まるで迷惑民達と毎日同居させられているようです。
玄関を出る時も荷物を受け取る時も注目を浴び良い気持ちにはなりません。
家の前をたまたま溜まり場にされてしまった家は
一方的に我慢をしなければいけないのでしょうか。
多くの人は近所とトラブルを起こしたくないが故に我慢しているのだと思います。
ネットで意見を見ると迷惑だと不快に思っている人が沢山いることがわかります。
何も言われていないから許容されている、
ここは子育て中の人ばかりだからお互い様、
理解がある地域だから大丈夫だと思ったら大間違いです。
声を上げる人はほんのほんの一握りだと思っています。
こうなるともはや数の暴力です。個人がどうにかできる問題ではないのです。
実際に騒いでいる所に丁寧に今まで何度かお願いに行きました。
でも「すみません」と言われたのは2回のみです。
不満そうな顔をして去っていった人達は迷惑行為を繰り返しています。
そして個人のモラルやマナーだけが頼りであるこの問題は
第三者に協力を依頼しても軽く見られてしまうことが多く
悩んでいる人達をさらに追い詰めます。
私は幼稚園、小学校、自治会、相談員、役所、警察に幾度も相談しました。
「道路で遊ぶことぐらい常識の範囲内」
「井戸端はご近所のコミュニケーションでしょ?」
この言葉はどちらも別々の警察官に言われた言葉ですが
この問題が他人には軽く見られていることがよくわかります。
悩んでいる人も「私の心が狭いのか」と自虐してしまう人が多いです。
私も最初は自分が悪いのだと思い我慢に我慢を重ねていました。
でも何度考えても迷惑なものは迷惑なのです。
唯一の寛げる空間、唯一の休める空間である家で
他人のわがままのために休むことができなければ
私達はどこで休んだら良いのでしょうか。
表面化はしていないけど現実に起こっている問題を
迷惑だと思う人がいるという現実を
私視点で書きたいときにつぶやけたらと思います。