自分の身に起こることがなんなのか
それを人は知りたがると思う
わたしもそうだ
だからこうして言語化をやめずにいる
ふだんから、
音にならない音
声にならない声
色にならない色
様々なものをキャッチしていると感じる
それにのまれて疲れてしまうのが
エンパス hsp 精神疾患
なのではないかな



まさにふわふわとそれらに翻弄されて
わたしは今日まで生きてきたよ
のまれにのまれて
それでも成長をやめていない
魂は、たくましい✨
いまわたしのなかで
穏やかな凪のある平穏な、それでいて勢いのいい風の吹く人生というのが予想できています
予想さえもできなかった6年間
これは長かった。
だが今は予想できている
感覚過敏にのまれることなく
それはなぜか??
思い切り休んだことも1つの理由だが、
自分を活躍させてあげたからじゃないかな
頭で考える活躍はハードルが高い
それでも
行動はいつも動作からはじまる
歌をすこし歌ってみた
普段使わない抱き枕を抱いてみた
散歩してみた アロマに溺れてみた
やらなきゃいけないことなんてない
でも小さな活躍を自分に与えることで
小さな自信と小さな勇気となる
ジャッジメントをしないで
その活躍を褒め称える。
いま
病の渦中にいますが
その渦中で溺れるんではなく
人生にはいつでも新しいグラデーションが訪れているという希望を捨てずに生きていきたい
それを見ることができないほどにいっぱいいっぱいなのであれば、やはり最優先として休むこと
病んでいても活躍したいエゴは騒ぎ立てる
それが人間
そして承認がほしいのだが
自分で自分を承認するということだ
起き上がれないなら布団の中で口笛をふいてもいい
すっぴんに赤いリップだけを塗ってもいい
とびきり美味しいオヤツを食べるんでもいい
何度もかくけど
すべてはそこから始まるから
そういう地味な自分自身に隠れているから
いつだって動作、所作から、はじまるんだから
ひさしぶりに絵をのせました。
なにかを感じていただけたら嬉しいです!
ではまた!
病にのまれそうなときはあっても
いつも見守るように自分を労る視点が大切だと思ったし
なにより見守ってくれる人間が
この世にはたくさんいる