わたしはとっーーても飽きっぽい。
だから、飽きっぽいから、一度に4枚も5枚もの絵を描いて、飽きたら質感の違う筆をつかい、また飽きたら音のする素材で描いたり、指で描いたり、ころがしたり、優しくなでたり。木に描いてそれをスタンプにしてみるっていうのも、試す予定。

キャンバスも、大きいものを描いたら小さなものも描く。飽きたら半年以上放置してからまた描いたり。数じゃないんだけど、それでも数を描くことの力をわたしは知ってる。
これまでいろんな方向性にころがってきて、あんま興味もなかった作品が完売したりして、わたしってなにがやりたいのか?と思ったときもあったけど。

見せたいんだ、やりたいんだ。だからつまり、たくさんのアーティストがライブ動画を撮ってみせる意味がようやくわかる。あれって、そりゃ、再生回数やsnsとしての伸びをねらってるヒトも、たくさんいると思うんだけど、
自分の描いてるところって生の楽しさだから、それを知ってほしくなるんだ。
わたしはまだ体力的にライブ動画やらないし、やったらたぶん絵を嫌いになるのがよくわかってるので、描いたものを載せることに限定。

そのかわり、スレッズというインスタから生まれたつぶやきsnsに、なるべくは生の声をつぶやくことにしてる。


休むの下手なんで、画家はけっこう実際きつかったんだけど、結局休んでも描きたくなるし、24時間遊んでいたいから続いてる。
飽きっぽいって可能性しかないよね。飽きっぽいから、つぎの方法を試す、飽きっぽいから、そのリアルに変化していく様子を世の中にみせることができる。わたしは子どもそのものなんだ。

でも描いていて、子どもゾーンにどうしても入っていけないときがある。そんなときに頭の中にあるのは、『他人の目』なんです。
どうやったって、長年付き合ってきたそれは、わたしのなかにまだいて、付き合っている。
でもそんなときは手を止める。作品が台無しになるのを避けるために。自分のテンションのまま描きあげるために。それを繰り返すことによって、やっぱりだんだんと小さく息絶えていく『他人』。


主張していかないと死んでしまうほどのわたしの声を、アートにのせる、
精神障害になったわたしの経験もふくめ、紆余曲折をアートにのせる。

話は現実に飛びますが、あとすこしで障害年金の支給日です!更新についていろいろ勘違いしており、まだかまだかと通知を待っていましたが、診断書だしてから4ヶ月はかかるらしく、打ち切りが決まらない限りは、もらえるんだって。

続きます