以前からとても気になっていたことがあったんだけど、そんなに大したことじゃないのでそのままにしていたことがある。まあ誰でも一つや二つはそんなことがあると思うし、年を重ねれば重ねるほど多くなるものかもしれない。
気になっていたことは数十年前のことで中学生から高校生の頃のことです。
1970年代、高校受験の頃いやそのちょっと前かな、世の中でFMラジオなるものがだんだんとメジャーになりつつありました。
そのころのラジオといえばAMオンリーでまともに浜松で聞くことができるのはSBSラジオとNHK第一第二の3局でした。
関東の放送局例えば日本放送なども聞くことができましたが雑音が多くどうしても聞きたいときだけ頑張って聞くというものでした。そんな時なのでFM放送なんて静岡県ではNHKしかありません。静岡県どころか全国の民放FM放送局はFM東京、愛知、大阪、福岡の4局だけでした。浜松は愛知県よりなのでFM愛知の豊橋放送局を聴くことができ、少し雑音が入りながらも聞いてました。以前のブログで宮川泰がやっていた番組のことを書いたけどそれ以上に聞いていた番組のことがとても気になっていたことなんです。
それはコンタクトクラブという洋楽のリクエスト番組で、詳しいことはあんまり覚えてはなかったのでググってみたらなんとその番組のことが載っていました。その番組は月曜から金曜の深夜12時15分から1時までやっていたようです。
その当時私は中学生から高校生にかけての年代で、高校受験前は深夜遅くまで起きていて勉強しているふりをしていたものです。まあそうでなくても12時前に寝ることはまれで1時ごろまでは平気で毎日起きていてラジオを聴いていたものです。なんだかとても早く寝るのがもったいなくて何時まででも起きていたいと思っていてラジオを聴いたり漫画を見たり本を読んだりしていました。今ではとても考えられないけど十代半ばのヤングマンには睡眠時間なんて気にすることではなく逆に少ない方がカッコいいとさえ思ってしまう年頃でしたね。しかし学校へは真面目に毎日行っていたので朝は毎日7時には起きていました。
その番組は洋楽のリクエスト番組だったんだけどそのころはまだ歌謡曲しか聞いていなくてラジオを聴いて少しは聴く曲のジャンルが広がったとはいっても吉田拓郎や井上陽水などのフォークまでしか聞いておらず洋楽は別世界の状態でした。なので私が洋楽を聴くようになったきっかけの番組だったのかもしれません。とはいってもやっぱり小柳ルミ子や天地真理、南沙織のレコードを買っていて、吉田拓郎のレコードも少し買い始めたくらいでまだまだ洋楽のレコードを買うまでにはなってなかったんだけどね。
洋楽リクエストといってもポピュラーがメインでロックは流してなかったように思いますというかまだまだそのおころに日本には洋楽ロックというのはメジャーではなくビートルズとローリングストーンズくらいだけだったと思います。
その番組ではポールモーリアやカーペンターズなどの軽い洋楽がメインだったような気がします。
では私が一番気になっていたことはなんでしょうか。
その番組の内容やかかっていた曲のことではありません。実はその番組のテーマ曲のことで50年たった今でもその曲が頭から離れずずっと気になっていたんです。
曲名は知っていたんだけどメジャーな曲ではないんでポールモーリアのCDは持っているもののその曲のはいっているCDはありません。しかし今の世の中YOUTUBEという武器があるのでそんな曲でも見つけて聞くことができました。
そしてYOUTUBEを探していてわかったこと、いや思い出したことは、その曲に合わせてオープニングとエンディングのナレーションをしていたその番組のパーソナリティーが柴田チコという人だったことです。そう思えばその名前にも覚えがありました。最後に「まっててね」というのが決まり文句でした。
その曲はとても寂しそうな曲です。そのころその曲を聴いていたのが私の性格形成に確実に影響を与えたと感じています。
その曲が「裸足のイサドラ」です。
良かったらYOUTUBEで聞いてみてね。
(337) Paul Mauriat - Isadora 裸足のイサドラ - YouTube
この後、ヤフオクでこの曲のシングル盤レコードを手に入れました。
そしてもう一つ、そのころ毎日聞いていた番組
「FMバラエティー」
についてはまた書きます。