私ども飯塚商店のもやしキャラクター、
「も~やんともんちゃん」が絵本
になったのをきっかけに、二人の生みの親であるイラストレーター“ことな”さんから
『(も~やん、もんちゃんの)原画展をやりましょう』
との誘いを受けたのが先月のこと。 楽しそうな試みでしたので、もちろん私は快諾しました。
まずは展示できる場所探しから始まりました・・・もちろん深谷のもやしを描いた絵本ですから最初は深谷市内に決めていました。
そして先週のことです。とある繋がりから、かつて深谷市内で栄えた造り酒屋、
『七ッ梅酒造』の建物の一角を使ってよいことになりました。この『七ッ梅酒造』の跡地だが、文化財ともいえる歴史ある建物がそっくりそのまま残っています。ここに入るとまるで自分らが生まれた頃の時代・・・・まさに三丁目の夕日の時代に戻ったかのような錯覚を覚えます。
なぜこの場所が使えることになったか、その経緯をお話します。
深谷市にある市民映画館、「深谷シネマ 」。その移転先がこの
「七ッ梅酒造跡」
であり、そして来月10(土)より18日(日)まで開催される
『花の街ふかや映画祭
』
の会場として使われます。
実は私の叔父が深谷市の郷土料理である、煮ぼうとう の研究会に関わっており、映画祭の時にはこの場所で訪れたお客様に煮ぼうとうを振舞うことになっています。そしてその叔父が原画展の会場を探している私とことなさんに、この映画祭会場である七ッ梅跡地の一角を使わせてもらえないかと、掛け合ってもらい映画祭主催者の深谷シネマ様から了承を得られたという次第なのです。
昨日(14日)、その敷地に入った私とことなさん、そして協力者である地元の友人 はその歴史が染み込んだ佇まいに圧倒されました。深谷シネマの代表の方から、
「このあたりではどうか?」
と敷地内の一角にある建物を勧められました。
現在は私が経営するもやし屋、「飯塚商店」。父が創業したのは昭和36年です。以後48年間、一貫してその当時の作り方をほとんど変えずに現在に至っています。そう私はその旧き良さを信じて、ずっともやしに関わってきたのです。
私はこのレンガ作り(このレンガは飯塚商店のすぐ近くで栄えていた、やはり今はなき“日本煉瓦”のものです)の建物をみて、大きくイメージが構築されるのを実感しました。
「昭和の旧きもやし屋、飯塚商店」
の誕生です。
七ッ梅酒造跡地で開催される昭和の香り漂う、華やかなふかや映画祭の片隅に、昭和のもやし屋がひっそりと店を開く・・・・そんな世界観に基づいて原画展を開きたいと。
そして原画展だけでなく、ここに店を開いた飯塚商店で、昭和のもやしの売り方で新鮮なもやしも売ってみたいと思いました。ただこれにはたくさん水も使うことになり、いろんな条件が必要になりますが。
私たちは時代の流れに身を任せすぎて、新しい価値観を信じすぎて、多くの古き良き食の価値が見えなくなってます。その流れで多くの正しかったはずの食が失われてきました。この地方の小さな酒蔵『七ッ梅酒造』もそのうちの一つだったのかもしれません。『七ッ梅酒造』は300年の歴史を持っていた造り酒屋でした。その歴史的財産ですら、新たな価値観の前には淘汰されてしまう、それが現実なのでしょう。
その跡地において、なくしてはならない正しかった昔の食のあり方を
もやしの絵本ともやしそのものを通して
伝えられれば幸いです。
これより開催の日まで1ヵ月弱。その日に至る経緯を追って話して行きます。