田舎は広い。そう感じたのは初めてかもしれない。ゴールデンウィークに、息子とともに故郷である徳島県に帰省した。私の家は徳島市内から離れた平野部にある。右を見ても左を見ても畑なので見通しは良い。公園は無いが、たまに軽トラックが通る程度の田舎道や畦道を存分に走り回れるので息子はご満悦。遊具はなくとも、用水路に野花や雑草を流して追いかけることが楽しくて仕方がないようで、砂利を撒き散らしてもここなら叱られることがないのにもしたり顔だった。
田植えシーズンが近づき、水をはる前の田んぼではトラクターが忙しなく、用水路にはメダカが右往左往している。息子が見入っているその光景を、幼い頃から毎年見てきた。見飽きて、見ようともしなくなった景色だ。
市内どころか、田舎町の中心部からすらも離れた場所は中高生時代の私にとって、不便で窮屈だった。ちょっとコンビニに行ってくると家を出たら、車でも小一時間は戻れない。ピザの宅配は圏外。歩けば片道1時間では着かない最寄り駅は無いも同然で、行ったところで市内へと向かう汽車(徳島に電車はない)は1日に数本だ。当時は、この狭くてつまらない所を離れ、県外へ進学したい一心で机に向かっていたと言っていい。
そんな面白味のなかった景色の中で、息子は止まる動作を忘れてしまったかのように動き回っている。普段はほとんど私から離れないのに、いつの間にやらひとりで畑の端から端へと走り、「ママ、これって、つち?すな?どっち!?」と叫んでいる。砂場に慣れた手には、耕されて間もない柔らかな土は新鮮だったようだ。彼が小さいためか、畦道はより長く、空はいっそう高く感じられる。田舎は広く、慎重派の息子を少し大胆にする。つまらないとばかり思っていた場所に、のどかな発見が詰まっていた。
平均台練習、1年分終了しました。

