その30 

捕虜収容所内のデマ

 

しばらくして、収容所を出て、道路修理、溝さらえ、米軍の使役等にかり出された。その度に現地人からののしられ、最初嫌になったが、次第に慣れ、平気になった。それに並行してか、現地人も悪口は少なくなった。

 

私たちは、すぐ日本に帰れると思ったのに、その気配はなく、不気味なデマが飛んだ。何々、どこに送られ、一生返さないとか、男のものを去勢して帰すとか、笑い話のようなことが、まことしやかに伝わった。それも日本の男性は元気が良すぎる、横暴である、いま少し、おとなしくさせるんだ、ということを、米軍監視兵が英語で言ったため、日本語を誤訳してしまった事が分かった。もう皆帰りたいの一心で、何を言ってもまともに聞こえた。素人祈祷師がいて、何月何日には帰れると言った。半信半疑だったが喜んだ。さあ、その日が来た。待てど暮らせど通知が来ない。がっかり、「あの馬鹿たれ」と言って笑った。お賽銭がなかったから、当たらなかったそうである。


続きはこちらからもどうぞ↓↓

https://ameblo.jp/matsuyoshiinoue/entry-12626824963.html