その12
軍司令官に会う
ハイラルに、到着するや、ソ満国境要地の陣地構築や、日ソ戦に備えて猛訓練が続いた。
私も小輓馬隊を引率し、第一線部隊に糧秣輸送を続け奮闘した。
もう輸送も慣れたころだった。その日も異状なく糧秣の届けを終わり、帰途に就いた。ハイラルの原隊もかすかに見え、ほっとしかけている頃、前方に乗馬集団が見えた。
最初何気なく見ていたが、だんだん近づき15騎とわかった。私はえらい人達の集団だなあと直感、行李隊員にそのことを知らせ隊列を整えた。
すると前方集団から、2騎早駆で近づいてきた。1人は中佐でたすき掛け、一人は大尉だった。
あわてて敬礼したら「止まれ」と言う。そして、どこの誰だ、と聞くので
「18サタ行李班です。糧秣輸送の帰りです。」と言ったら
「お前の名前は?」と名前まで聞くので「井上松義です」と言うと
「よし閣下がみえられる。落ち度のないように敬礼せよ。わかったか、よし行け」と命ぜられた。
もうその時血の気が引いたように、小ぶるいした。
さあ大変、最高直属上官に対する敬礼の仕方を思い出さない。はたと困惑した。中佐はすぐ集団に引き返され、大尉は私達行李班の後に少々はなれてついてきた。
停止して頭右か、行進しながら全員の頭右か、気を付けで指揮者だけの敬礼か、決めかね土壇場になった。
もうままよ、と「気を付け」と思い切り大声で号令をかけ、いつもよりぴしゃっと、必死に私1人敬礼した。そしたら閣下も敬礼をかるくかえされ、何か言われたようだったが、緊張していたので聞こえず、敬礼のまま、通りすぎた。「直れ」でたった1分間の、必死の敬礼は無事終わった。ほんとうにほっとした。
後で戦友行李班員に聞いたら「ご苦労」と言われたと、冗談半分 言うので、私も手前みそ、そう思いうれしく思っています。
そして軍司令官だった、師団長だったと、一同にぎやかに語り、はっきりせぬまま帰隊した。
敬礼も、何千何万回としたが、中将に直接敬礼したのは初めてである。
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