話のわかる人とわかんらない人がいる。

これは、語学的な意味での障壁もあるけれども、それを超えてもなお、わかる人/わからない人がいる。

これは、その人がもつ視点(を支える価値観)の相違に基づく。

 

 ある人(A)は、「普通は〇〇」と思っている。

 別の人(B)は、「普通は××」と思っている。

 

 AとBは、日本語を話すとしても、思考の前提(価値観)が異なるので、理解しあえない(誤解してしまう)。

 視点の相違によるコミュニケーションギャップを解消するために、できるだけ明瞭な言葉を使うという人間関係(社会)がある。しかし、この努力は、かなり不毛である。価値観が違う以上、届けたい内容の真意は、伝わらないのである。一方で、手続きとしての会話は延々と続く。

 これを回避するために、以心伝心系の人間関係(社会)がある。しかし、価値観を一致されることは不可能であるから、以心伝心的に伝わったと思っていても、実際は、伝わっていない。結局、コミュニケーションギャップは解消されない。

 

 そして、アトム化していく方向と集団化していく方向に分かれ、収拾がつかない状態になる。

 現在の状況は、収拾ができなくなる一歩手前かもしれない。