お相撲さんがいた街 | 伊藤和磨オフィシャルブログ Powered by Ameba

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福岡県篠栗市にて

 中野新橋が地元だったので、幼い頃からお相撲さんを街で見かける機会が多かった。
 藤島部屋、二子山部屋、貴乃花部屋。
代が変わっても、自分の街に相撲部屋があることが、ちょっとした自慢だった。


 うちのお墓が相撲部屋の真正面にあったので、お墓参りのときや、前を通りかかったときには、背伸びして窓から稽古の様子を眺めていた。


バッシーン!パン!パン!
ぜーぜー…ぜーぜー。はぁー、はぁー。
150kgを超す肉体と肉体が衝突する音は強烈だ。
 時おり、親方の怒鳴り声がこだまする。
例えが悪いが、獣物のようだった。


そんなお相撲さんたちも、商店街をブラブラ歩いているときや、自転車に乗っているときは優しい顔をみせる。
丸ノ内線の車内に若い力士が乗っていると、鬢付け油の匂いが遠くから漂ってくる。


 子供にとって、大きなお相撲さんに話しかけるのはハードルが高い。お相撲さんを見かけても、遠巻きに観察しているだけだった。
 体型がコロンコロンしているから、何をするにも可笑しく微笑ましい。
 
 それでも、なにかあったときは、お相撲さんが助けてくれる。中野新橋界隈の子供たちにとって、とても頼もしい存在だった。
 

 残念なことに、貴乃花部屋は東砂に移転し、中野から相撲部屋がなくなってしまった。
 そして、今回の騒動で部屋も消滅してしまった。
今頃になって、淋しさを感じる。


 しかし、貴乃花親方の相撲道とスピリットは消えてはいない。元貴乃花部屋の力士たちは、親方の想いを引き継いでくれるはず。

 貴景勝関こと貴信は、その先頭に立って闘っていく。
 群れることを好まず大口はたたかない。
仁義を重んじて義理堅い男。今では彼の成長と活躍が、楽しみの一つになっている。


  中野新橋で暮らした経験のある貴信と、地元の話ができるのは嬉しいこと。より親近感が湧く。

 御墓参りで、元部屋だった建物の前を通る度に、不思議な気持ちになる。時計の針が止まったままの部屋。

 お相撲さんがいた街の情景を思い浮かべながら、時の流れを早さと厳しさを感じる。

 過去は過去。
貴景勝と自分も、前を見てひたすら進むだけ。