No Fear | 伊藤和磨オフィシャルブログ Powered by Ameba

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今日は、「プロレス界の帝王」こと、高山善廣選手と13年ぶりに再会&対談した。

高山選手と最初に会ったのは、PRIDE14の横浜アリーナだった。
人影のない廊下で、宮田さんが持つミットに、ひたすら膝蹴りを打ち込む高山選手の姿を、傍で観ていた。
頑張って下さいなんて、在り来たりなコトバをかけるのは好きではないのだが、この時ばかりは思わず、「頑張って下さいね!」と声を掛けてしまった。
すると、わざわざこちらに身体を向けて、「ありがとうございます」と答えてくれた。
それまで、プロレスの事を詳しく知らなかったが、高山選手を一目見た瞬間から胸がザワついて、気になって仕方がなくなっていた。

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 入場口からリングの傍まで、高山選手の横を歩いたのだが、彼の観客を睨みつけながら入場する姿に惚れた。

その後、何度か会う機会があり、ジムで筋トレの御供をさせてもらったり、ご自宅にお邪魔させて頂いたりした。
「プロレスラーで誰が最強か」
そんな話で、ワイワイと楽しませてもらった事を覚えている。
 若さ故のバカさで、駐車場で高山選手に「かっこいいファイティングポーズ」のアドバイスなどをした。
釈迦に説法どころの話ではない。
思い出すだけで、顔から火が出るほど恥ずかしくなる。



本当に久しぶりに会っても、一目惚れしたその人は、変わらず心根の温かい人であり、相手を慮る優しい野獣だった。

「プロは、相手と闘いながら同時にお客さんとも闘っている。ただ、勝つだけではプロとしてはダメ」
高山選手のプロフェッショナルな意識の高さは、猪木さんの考え方と一致している。

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13年前

戦後の復興から急激な経済成長を遂げていた頃、力道山らの登場によって、大衆娯楽としてプロレスは全盛期を迎えていた。
その後、ジャイアント馬場、アントニオ猪木らが、新たな新時代を築く。
力道山が一世を風靡していた頃の観客を観ると、皆、目を真ん丸くして心底ドキドキハラハラしているのがわかる。
なんだか、日本がとっても元気だったように映る。

観客たちは、その辺には絶対にいない巨漢のレスラーたちを目の当たりにして、畏怖と畏敬の念をもって眺めていた。
まだ好奇心が満たされていなくて、様々な刺激に国民全体が飢えていた時代に、プロレスはピッタリとハマったのだろう。

経済が豊かになり、娯楽が増えたことが1番の要因だろうが、プロレス人気は徐々に陰りをみせ始めていった。
それに代わるように、Kー1やPRIDEが力と人気を高めていった。

アントニオ猪木曰く、「他の格闘技は、数ヶ月に1度しか試合をしないが、どんなに怪我をしても毎日試合に出続けるのが、プロレスラーの強さでもある」

実際、PRIDEの試合よりをプロレスのタイトルマッチの方がダメージが残ると高山選手は言う。
 プロレスだろうがPRIDEだろうが、「プロとして、凄い試合を観客に見せてやりたい」という気持ちは同じ。
それを体現したのが、ドン•フライ戦や藤田戦なのだろう。
あの時の会場の空気は、古き良き時代のプロレスそのものだったはず。

 高山選手がリングに上がると、PRIDEのリングがプロレスのリングに変わってしまうところが凄い。

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レスラーをやっていて、一番嬉しい瞬間は?と尋ねと、勝っても負けても観客が盛り上がって喜んでくれる事と言っていた。

対談後の質問で、他のスタッフが「これからの夢はなんですか?」と尋ねられると、「まだ、夢の途中だから分からない。プロレスラーになることが夢だったから」と返した。

まだ、夢の途中。。。

うん、素敵です。
まだまだ、帝王の夢は終わらない。